思はぬかたにとまりする少將(三):堤中納言物語

| コメント(0)
權少將は、大將殿のうへの、御かぜの氣おはするにことつけて、例の泊り給へるに、いと物騒しく、客人など多くおはする程なれど、いと忍びて御車奉り給ふに、左衞門の尉も候はねば、時々もかやうの事に、いとつきづきしき侍にさゝめきて、御車奉り給ふ。大將殿のうへ、例ならず物し給ふ程にて、いたく紛るれば、御文もなき由宣ふ。

夜いたく更けて、彼處に詣でて、 「少將殿より」 とて、 「忍びて聞えむ」 といふに、人々皆寢にけるに、姫君の御方の侍從の君に、「少將殿より」とて、御車奉り給へるよしを言ひければ、ねぼけにける心地に、 「いづれぞ」 と尋ぬる事もなし。

例も參る事なればと思ひて、「かうかう」と君に聞ゆれば、 「文などもなし。風にや。例ならぬなど言へ」 と宣へば、 「御使こち」 と言はせて、妻戸を開けたれば、寄り來るに、「御文なども侍らぬは、いかなる事にか。又、御風の氣の物し給ふとて」 といふに、 「大將殿のうへ、御風の氣のむづかしくおはして、人騷しく侍る程なれば、此の由を申せ。さきざきの御使に參り侍る人も候はぬ程にてなどかへすがへす仰せられつるに、空しく歸り參りては、必ずさいなまれ侍りなむず」 といへば、參りて、しかじかと聞えて進め奉れど、例の人のまゝなる御心にて、薄色のなよゝかなるが、いとしみ深う懷しき程なるを、いとゞ心苦しげにしませて乘り給ひぬ。侍從ぞまゐりぬる。

御車寄せて下し奉り給ふを、いかであらぬ人とは思さむ。限りなく懷しう、なめやかなる御けはひは、いとよく通ひ給へれば、少しも思しもわかぬ程に、やうやうあらぬと見なし給ひぬる心惑ぞ、現とは覺えぬや。かの、昔夢見し初めよりも、なかなか恐ろしう淺ましきに、やがて引き被き給ひぬ。侍從こそは、「いかにと侍る事にか」と、 「これはあらぬ事になむ。御車寄せ侍らむ」 と、泣く泣くいふを、さばかり色なる御心には許し給ひてむや。寄りて引き放ち聞ゆべきならねば、泣く泣く几帳の後にゐたり。

男君はたゞにはあらず、いかに思さるゝ事もやありけむ、いと嬉しきに、いたう泣き沈みたまふ氣色も道理ながら、いと馴れ顔に、かねてしも思ひあへたらむ事めきて、樣々聞え給ふ事もあるべし。隔てなくさへなりぬるを、女は死ぬばかりぞ、心憂く思したる。かゝる事は、例の哀れも淺からぬにや、類なくぞ思さるゝ。 

(文の現代語訳)
權少將は、右大將殿の北の方が風邪気味であられるのにことつけて、いつものとおり右大將殿にお泊りになりました。邸内はたいそう騒がしく、客人などが多くいたのでしたが、權少將は妹君のところに秘かにお車をさし向けたのでした。左衞門の尉がいないので、時々こういう折に言いつけていた侍に耳打ちして、お車を手配されました。そして、北の方がお病気で、たいへんたてこんでいるので、手紙を書けない事情を説明するよう、その侍に言い含めました。

侍は、夜がすっかり更けた頃姫君たちの所に参上して「少將殿からです」と申し上げました。人々はみな寝静まっていましたので、姉君の方の侍從の君に、「少將殿からです」と言って、車を手配している旨を申し上げたのですが、侍従は寝ぼけ心地で、「どちらの姫か」と念を押すこともありませんでした。

侍従は、いつものとおりのことだと思って、「こうこう」と姉君にお知らせすると、姉君は、「手紙もないなんて変ね、風邪をひいたようで具合が悪いと言いなさい」とおっしゃるので、侍従の君は、取次の者に「お使いの人こちらへ」と言わせて、妻度を開けて待っていると、侍がそばに寄ってきました。侍従の君が、「手紙もないとは、どういうことですか。姫君はお風邪をお引きだということです」と言いますと、侍は、「右大將殿の北の方がお風邪を召して、人々が騒々しくしていますので、手紙を書けないという事情を申せ。前々から使いをしている者が不在のこともよく申せ、とかえすがえす仰せられましたのを、空しく帰っては、さぞお叱りを受けましょう」と言うので、侍従の君は姉君の所へ参り、しかじかと訳を話しました。姉君は、いつも人の言うことを真に受けられる方なので、薄色のなよゝかな衣装に、深く懐かしい香りを心苦しげにしみこませて、車にお乗りになりました。侍従も一緒に乗り込んだのでした。

權少將は、お車を寄せて、姉姫を妹姫と思って下ろして差し上げたのでしたが、その時はどうして人違いだなどと思われたでしょうか。姉君も、權少將の限りなくやさしく、なめやかなご様子が、右大将殿の少将とたいそう似ていらっしゃるので、最初は全く気が付かないのでしたが、やがて人違いだと気が付かれた時の驚き、それは現とは思えぬほどでした。あの、昔夢を見始めた時よりもかえって恐ろしく浅ましいありさまに、さっと衣を引き被って顔を隠されたのでした。侍従こそは、「どうしたことですか、これはあるべきことではありません。お車を寄せてさしあげましょう」と泣く泣く言いましたが、あれほど色好みの權少將のこと、お許しなさるはずがありません。侍従も、近寄って二人を引き離すわけにもゆかず、泣く泣く几帳の後に控えていたのでした。

權少將は姉姫を、ただならず思い、どうかして手に入れたいと思ったこともあったのでしょう、たいそう嬉しくなり、姉姫君が泣き沈んでおられるのを気の毒に思いながらも、馴れ馴れしい顔つきで、かねてから思っていたのですよなどと、さまざまに言い寄られたのでした。姉姫君のほうは、思いかけない男と結ばれてしまったのが、辛く思われたのでした。一方男のほうは、このようなことは、よくあることで、女の哀れさも浅からぬとばかり、姉姫を類なくすばらしい女だと思われるのでした。

(解説と鑑賞)
この部分は、権少将が妹君と間違って姉君と結ばれたいきさつを語る。右大将の邸に泊っていた権少将は、そこで妹君と楽しみたいと思い、使いの者に妹君を迎えに行かせる。ところが不具合が生じて姉君の方を迎えて帰ってきてしまう。前々から姉姫が気に入っていた権少将は、ちょうどいい機会だとばかり、姉姫君を強引に手籠めにしてしまう。その辺のところが、恐ろしい調子で語られる。一篇の最大の山場と言える。







コメントする

アーカイブ