独裁者(The Great Dictator):チャーリー・チャップリン

| コメント(0)
us.chaplin06.dictater.jpg

チャップリンの映画「独裁者(The Great Dictator)」は、ヒトラーの独裁専制を痛烈に批判したものとして、映画史上特筆すべき作品である。チャップリンがこの映画を公開した1940年は、第二次世界大戦が勃発してまもなくのことだったが、アメリカはまだ参戦しておらず、ドイツに対するアメリカの世論には複雑なものがあった。そういう状況の中でチャップリンは、ヒトラーの専制政治が民主主義に対する脅威であるばかりか、ユダヤ人への迫害を通じて人間性そのものをも蹂躙していると訴えた。チャップリンの映画の大きな要素であった政治的な視点が、この映画では最大限に発揮されているといえよう。

この映画のなかでチャップリンが特に強調しているのはヒトラーによるユダヤ人迫害である。ヒトラーが1933年に政権を奪取して以来反ユダヤ主義政策を公然と主張していたことは良く知られていた。その後1938年11月に大規模なユダヤ人迫害「水晶の夜」事件が起き、独ソ開戦の1941年6月以降には組織的なユダヤ人迫害が始まる。そして1943年以降には、ユダヤ人の撲滅を目的としたコンセントレーション・キャンプが各地に設けられ、数百万人のユダヤ人が殺された。チャップリンがこの映画を作った時期は、ユダヤ人迫害が本格化し、いわゆる民族浄化の対象とされつつある時期だったわけである。

この映画の中では、ヒトラーはヒンケルという名で出てくる。またヒトラーの腹心であったゲーリングやゲッベルスは、それぞれへーリング、ガビッチという名で出てくる。ナチスのシンボルマークであったカギ十字は、十字を二つ並べた形にされている。このように、一目見てヒトラーと彼の率いるナチスだと世界中の人々がわかるような仕掛けを通じて、ヒトラーの暴虐振りが、チャップリンの例のパントマイム的な演技を通じて強調される。チャップリンとヒトラーは、あの髭をはじめとして、容貌や仕草に似ている所があるというので、チャップリンの演技は、当時の観客に、ヒトラーをストレートに思い出させたに違いないのである。

この映画のミソは、ユダヤ人を迫害するヒンケルと、そのヒンケルによって迫害されるユダヤ人の代表である床屋とを、チャップリンが一人二役で演じていることだ。こうした設定によくあることとして、両者は途中で入れ替わる。つまりヒンケルは床屋と間違えられて収容所にぶち込まれ、床屋はヒンケルと間違えられて演説をするハメになる。その演説の中でチャップリンの床屋が、恐らく世界中の人々に向けたメッセージを送る。独裁者と戦い、民主主義を守るために団結しようという、世界映画史上有名なメッセージだ。このメッセージは、アメリカによる大戦参加を後押しする効果を持ったとする見方がある一方、「チャプリンはアカだ」という中傷が流布する根拠にもされた。非常に意義深いメッセージだったわけだ。

映画の中のヒンケル=ヒトラーは徹底的に笑いのめされる対象となっている。床屋のチャーリーより独裁者のヒンケルのほうが、喜劇役者としては一枚も二枚も上だ、とチャップリンは言っているようである。笑わせる場面は数多くある。たとえばヒトラー自身の演説のスタイルを皮肉ったような大げさな演説振り。その演説と言うのが、常軌を逸脱した仕草とならんで、意味の通じない言語によって担われている。独裁者の考えていることは、普通の人間の理解を超えたことだとチャップリンは言いたいのだろう。そのほか、ヒンケルが風船の地球儀を弄ぶ場面や、独裁者仲間のナポローニ(=ムッソリーニ)と虚勢を張り合う場面など、腹をよじらされる場面が続く。こうしたヒンケル(=ヒトラー)の笑うべき行動に比べれば、床屋のチャーリーは至極まじめな人間として受け取れるほどだ。

実際のヒトラーには、いくつか暗殺計画があったといわれるが、この映画の中でもヒンケル暗殺計画が出てくる。計画するのは、床屋チャーリーのかつての戦友でいまでは突撃隊(=親衛隊)の隊長となっているシュルツだ。シュルツはヒンケルの専制政治を終わらせようとして暗殺計画を練るのだが、その実行部隊として床屋らゲットーのユダヤ人たちを使おうとする。しかし計画は失敗してシュルツと床屋はプリズン・キャンプに入れられてしまう。このプリズン・キャンプは、実際にあったコンセントレーション・キャンプを思わせるが、まだこの映画の時点では、コンセントレーション・キャンプでのホロコーストは始まっていなかった。しかし、それを予感させるところはある。これに限らず、チャップリンはこの映画の中で、ヒトラーの政治の行き着く先を予感していたようである。

ヒトラーを批判した映画としては、ルネ・クレールが1934年に作った「最後の億万長者」がある。この映画は、ヒトラーを髣髴させる人物が、ある架空の国の宰相となって、次第に権力を集中し、独裁者として振舞うようになる過程を描いていた。その独裁振りがヒトラーを思わせるというので、当時から反ヒトラー映画としての評判をとったのだが、そこでは独裁者の(非)人間性が主題となっていて、政治の中身までは問題とはしていなかった。1934年と言えばヒトラーが権力を握った直後であり、ヒトラーの強引な政治手法が耳目を驚かす一方、その政策の中身についてはまだ大した関心を集めてはいなかったからだろう。それが数年後には、ヒトラーの政治スタイルばかりでなく、その政策の反人間的性格まで広く問題となってきたわけである。チャップリンのこの映画は、ヒトラーをめぐる世論の変化を反映していると言えるのである。







コメントする

アーカイブ