十便十宜図:池大雅と与謝蕪村

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池大雅と与謝蕪村は、徳川時代の文人画を代表する二代巨匠と呼ばれる。この二人はどちらも武士の出身ではなく、また生涯を通じて画風が変化したことなどを踏まえると、彼らを文人画家とするにはためらいがないわけではない。だが徳川時代中期を代表する画家には違いない。二人とも、大名や大寺院のお抱え画師ではなく、独立した職業画家として成功した日本最初の画家だったと言ってよい。そんなわけで、出自や経歴、画風などに共通点があり、互いに意識したであろうことが想像される。実際、彼らは同一のテーマで、絵の連作を試みている。「十便十宜図」と呼ばれる、一冊の画帖の製作がそれだ。

この画帖の製作は、尾張の素封家下郷学海が池大雅に依頼し、それを受けた大雅が蕪村に協力を呼びかけたということらしい。製作時期は明和八年(1771)、時に大雅馬歯四十九、蕪村五十六であった。

テーマの「十便十宜」とは、清初の戯曲家にして文人李漁の漢詩の連作である。李漁が自分の邸宅伊園での生活ぶりを歌いこんだ連作であり、十便のほうは伊園の暮らしやすさ、十宜のほうは周りの自然の美しさを歌っている。連作の題は「伊園十便十二宜詩」となっているが、実際には「十便十宜」である。

このうち「十便」を大雅が、「十宜」を蕪村が、それぞれ担当した。両者の絵を眺め比べると、大雅のほうに分がありそうである。やわらかくのびのびとした筆遣いや構図の飄逸な味わいが独特の世界をかもし出している。蕪村はこの大雅の絵に恐らく大きな影響を受けたと思われる。彼の後期の絵を特徴付ける俳諧趣味の絵(俳画)にその影響の痕跡を指摘できよう。

「十便図」のほうは、耕便、汲便、浣濯便、潅園便、釣便、吟便、課農便、樵便、防夜便、眺便の順序になっているが、これは原詩の配列とはことなっている。一方「十宜図」のほうは、宜春、宜夏、宜秋、宜冬、宜暁、宜晩、宜晴、宜風、宜陰、宜雨の順になっており、こちらは原詩と同じ配列である。

原作は長い間下郷家が所持していたが、近代になって作家の川端康成の所有になった。いまでは川端記念館の所蔵で、国宝指定を受けている。







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