
池大雅の十便図から「浣濯便」図。もとになった李漁の漢詩「伊園十便」のうち「浣濯便」は次のとおりである。
浣塵不用繞溪行 塵を浣ふに溪を繞り行くを用ゐず
門裏潺湲分外清 門裏の潺湲分外に清し
非是幽人偏愛潔 是の幽人の偏へに潔を愛するに非ざれど
滄浪引我濯冠纓 滄浪我を引いて冠纓を濯はしむ
洗濯するためにわざわざ渓流に出かける必要はない、門の裏に清らかな流れがある、孔子のように清潔を愛するというわけでもないが、自分も流れにそそのかされて冠纓を洗うというわけだ
絵に描かれているのは実りをつけた小圃のようである。少なくとも清らかな水の流れには見えない。ましてや水の流れで冠纓を洗っている聖人の姿も見えない、というわけで、この絵は原詩とかならずしも対応していないようである。
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