南禅寺、蓮華寺:京都観庭記続編その七

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(南禅寺山門)

二月廿五日(木)晴。八時に起床、朝餉を喫して後、十時近くにホテルを辞す。荷物を駅構内のコインロッカーに預け、5系統のバスに乗り、南禅寺・永観堂道停留所にて下車、路地を歩むこと十分ほどして南禅寺山門前に至る。

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(天授庵)

まづ山門横手の塔頭天授庵を訪ふ。この庭園は徳川時代初期のものにて、本坊前の枯山水とその奥に広がる池泉回遊式庭園よりなる。枯山水には菱形模様の畳石あり。畳石の周囲には苔を植ゑたり。また池泉回遊式庭園は小堀遠州の作とされ、室町時代の作庭術を受け継ぐといふ。

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(南禅寺本坊方丈庭園)

ついで南禅寺本坊方丈庭園を見る。これは天授庵より後の時代のものにて、白砂と岩の組み合わせに緑を絡ませ、独特の景観を醸しだしてあり。これを称して虎の子渡しといふは、石の組み合わせより連想せられたるが如し。

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(蓮華寺)

歩みて先ほどの停留所にもどり、そこより再びバスに乗って宝ケ池に至り、そこにて叡山鉄道に乗り換へ三宅八幡駅に下車す。駅前に一筋の川流れ走る。高野川の上流なり。その川沿を歩くこと十分ほどして蓮華寺に至る。山の斜面に寄り添うやうにしてたたずみたり。玄関に人の姿あらず。声を上げて案内を乞ふに、坊主現れて注意をなす。撮影は本堂内より庭に向かって行ふべし、建物内の撮影及び庭に出てからの撮影は遠慮すべしと。

ここの庭は徳川時代初期の庭園にて、小堀遠州の作とも、石川丈山の作とも伝へらる。なかなか野趣に富む好園なり。

再び叡山鉄道に乗って出町柳に至り、そこにて京阪電車に乗り換へて祇園四条駅に至る。駅を出たるところに、ラーメン屋の前に行列をなすを見る。すなわち美味の証拠なるべしと思ひ、時間に余裕ありしかばその列に並び、こってりラーメンなるものを注文す。とんこつラーメンなり。こってりとは汁の濃厚なるをいふがごとく、汁といふより練りものといふがふさわしきやうなる代物なり。ただし味はまあまあなりき。

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(祇園白川沿)

食後祇園の北側の街を散策す。大和橋を渡り白川の北側に沿って歩けば、川沿に古風な料亭の建物並び立ち独特の美観を呈したり。通りの北側にも木造の建物立ち並びてあれど、もともとは白川の両側に建物櫛比してありしを、先の戦争中に火災疎開を名目にして北側の建物群は剥ぎ取られ、今日のごとき景観を呈すにいたりしといふ。

祇園の南側、とりわけ花見小路は外国人観光客のおしかけるところとなり、喧騒の巷と化しをる由なれど、このあたりにはあまり彼らの姿を見ず。恐らく宣伝を控えをるためならむ。いずれこのあたりにも押し寄せるべし。

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(八坂神社)

その後また、八坂神社のあたりを散策す。境内和服を着たる女性の姿多し。だらしなく着こなしたるものは中国人やら韓国人なり。一目にてわかるなり。日本の女は普段和服を着ざる者でも、いざ着ればしっくりと似合ふは、歴史と文化のなせるわざといふべし。

三時頃京都駅に戻り、八条口の商店街にて土産を買ひ求め、3時56分発の東京行ひかり号に乗りぬ。

今回の旅行は、初日より両膝に痛みを覚え、とかく不自由をかこちながらの旅となりしが、なんとか計画通りに庭園巡りをなすことを得たるは、もっけの幸といふべきか。








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