「周到な準備」とは戦争のことか:安倍総理が自衛隊幹候補に強調

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安倍晋三総理大臣が、防衛大学校の卒業式に臨み、自衛隊の幹部候補生たちを前に訓辞を垂れた。曰く、「新しい任務でも、現場の隊員たちが安全を確保しながら適切に実施できるよう、あらゆる場面を想定し、周到に準備しなければならない」。ここで安倍総理が言っている「新しい任務」とか、「周到な準備」とかが何を具体的に意味しているのか気になるところだ。

安倍総理が語りかけている人たちが自衛隊の幹部候補生であることを考えれば、「新しい任務」が戦争であり、周到な準備が戦争に勝つための準備だとは、誰にでも思い浮かぶことだろう。安倍総理は自衛隊の最高指揮官であり、その立場から自衛隊の幹部候補生に語りかけているのであるから、戦争を念頭において語るのは、ある意味当然のことだ。だが、安倍政権が今前のめりになって進めている政策から考えれば、日本の対外戦争が現実味を帯びて見えてくる。安倍総理はだから、外交辞令としてこんな言葉を語っているのではなく、差し迫ったこととして語っている、というふうに思えてくる。

安倍総理の日頃の言動から推して、彼の念頭にある戦争とはどうも対中戦争らしい。中国はいまや新たなスーパーパワーとして、アメリカの世界支配に異議を唱えるようになっている、また日本との間では領土問題を抱えて不穏な関係にある。だからアメリカと同盟してか、あるいは日本単独でか、どちらの形をとるにしても、日中戦争の可能性は小さくない。というか、安倍総理自身が、その可能性を広げるような動きをしているわけだ。

中国との戦争に勝つためには、相応の準備をしなければならない。その点を安倍総理が強調するのは当然のことだ。だが、言っていることを口先で終らせるのではなく、実効性を伴わせるためには、とてつもない力が必要になる。

いうまでもなく、現代の国家間の戦争は、どちらか一方の消滅をもたらすような過酷なものだ。そういう過酷な戦争をアメリカはまだ経験したことがない。アメリカがやって来たこれまでの戦争は、どれもみなアメリカの圧倒的な軍事力を背景にして、自分よりはるかに力の弱い相手と戦われた、いわば弱い者いじめのようなものだった。だが中国はそんな弱虫ではない。中国との戦争は、アメリカにとっても国の滅亡の可能性を含んだ過酷なものになるに違いない。まして、日本にとって中国との戦争は、かつての大日本帝国の軍隊がアメリカを相手にしかけた戦争の二の舞になる可能性が非常に大きい。

そうはならせず、日本が中国との戦争に勝つためには、圧倒的な戦力の優位を保たねばならない。アメリカがいままで戦争に負けたことが少ないのは、弱い敵ばかりを相手にしてきたからである。その場合でもアメリカ側が敵に対して三倍以上の戦力の優位を見込めねば戦わなかったという経緯がある。アメリカは自分と同等か、自分よりそんなに劣る事のない相手とは決して戦わなかったのである。

中国がアメリカに対して圧倒的な戦力の優位を許すことはあまり考えられない。ましてアメリカよりも国力に劣る日本が、中国に対して圧倒的な戦力的優位を確保する見込みもない。そんな国を相手に戦争をしようというのであれば、日本がどんな努力をしなければならないか、国民もよく考えた方がよい。





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