毛越寺:日本の寺院庭園

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毛越寺は、12世紀の始めに奥州藤原氏によって造営された寺院であり、その庭園は平安時代の浄土式庭園を今に伝えている。堂宇の建物群はことごとく消失し、創建時の姿を伝えるものはないが、池を中心にした庭園の部分は、昔の面影を今に伝えているといわれる。

この庭園は、浄土曼荼羅の宝池会にある極楽浄土をそのまま再現したものという。すなわち、池は東西に長く、池南側の本堂と対岸北側の金堂を結ぶ中心軸の上に中島を配する。金堂は、宇治の平等院同様、翼廊がつながり、それらの先端には鐘楼や経蔵が連なっていた。平等院と異なるのは、本堂が池の西側ではなく、南側にあるということだ。

上の写真は、池の北側から本堂を眺め渡したもの。この本堂は、明治34年に再建された後、平成元年に今の形になった。池の規模は、東西180メートル、南北90メートルあり、池の中央部には東西70メートル、南北30メートルの勾玉状の中島がある。

下の写真は鑓水。池の北側の小山から沸いた清水を、池に導きいれるための施設である。

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