京橋の美々卯でそばを食う

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昨日(6月19日)、久しぶりに都心に出て昼飯を食った。現役時代の知人某から電話がかかって来て、暇を持て余しているから飯でも食いながら馬鹿話をしないか、と誘われで出かけた次第だ。東京駅の八重洲口で待ち合せる。しばらく見ないうちに、駅前の様子は劇的な変貌を遂げている。かつて大丸のあった場所は建て替えられて全く違う雰囲気になっているし、周辺には超高層ビルがいくつも立ち並んでいる。筆者がこの界隈を歩き回っていたのはつい30年ほど前のことだが、その間に全く別の街かと思われるほどに変ってしまったわけだ。日本経済の停滞が叫ばれてから久しいが、こと東京の都心を見る限り、停滞どころか日々前(?)に向かって進んでいる、という印象を受ける。

ついこの前に都知事がスキャンダルでやめたばかりなので、都庁OB同士としては自然とそのことが話題になる。なにしろ二代続けて都知事がスキャンダルでやめたのだ。こんな無茶苦茶なことは、後進国の腐敗した政府でも稀有なことではないか。まったく恥ずかしい限りだ、と某が言うので、まあそんなに恥ずかしがっても仕方がないやね、恥ずかしく思うのはまだ我々が健全な証拠だ、と理屈にならないのはわかっていながら、そんな屁理屈を言って慰めてやる。

彼らは二人とも傲慢病に取りつかれたのだろうね。都庁というところは、知事を傲慢にするところだと専らの噂だ、そう某が言うから、それは仕方がない。都庁の役人は知事をおだてていい気分にさせ、そのお相伴にあずかって自分らもいい思いをするのがうまい。知事になった彼らは毎日毎日殿さま殿さまとおだてられているうちに、すっかりその気になったあげくが、こんなことになったんだろうね、と筆者が解説する。

でも鈴木知事の頃はそうではなかったね、あのころは都庁の役人たちは知事の前では局長以下誰もが直立不動だった。それくらい知事の威光が浸透していた。だから、役所には規律の精神が行き渡っていたし、知事がスキャンダルを起こすなど考えられなかった。それがいつからこんなふうになってしまったんだろう、そう某がいうから、鈴木さんがやめてから、都庁の体質は変わったかもしれないね、と筆者が感想を言う。しかしそれ以上言うと、いつからどんな理由で変ってしまったのか、詳細に及ばねばならなくなるので、それは面倒だと思った筆者はこの話題を切り上げたいと思ったのだったが、都合のよいことにそのタイミングで食堂に入ることとなり、自然と話題が一段落したのだった。

その食堂とは、京橋の横町に面した美々卯という関西うどんの店である。昔はよくここで宴会を催し、うどんすきを食ったものだった。その頃を思い出しながらすっかりなつかしい気分になった我々は、うどんならぬそばを食うこととした。関東の人間にはやはりそばが似合う。美々卯は関西系の店だが、郷に入れば郷に従えで、東京に進出している店ではそばも出している。そのそばをすすりながら、某がいうところの馬鹿話に花を咲かせた次第だ。

某は七月早々韓国一周の旅行をするそうだ。そこで韓国ではどんなことをしたら楽しいかね、と聞くので、楽しいことと言うのは、ひとによって基準が違うから一概には言えないが、人間の三大欲望に即して言えば、まず食欲の対象たる韓国料理はお世辞にもうまいとはいえない。韓国料理を食うくらいなら、現地で日本料理屋を見つけたほうがよい、とアドバイスしたら、食事はすべて旅行会社のあてがいぶちだからその余地はないのさ、と言う、じゃあ君は、旅行の快楽の内、その三分の一は台無しにしたわけだと同情してやる。

性欲に関して言えば、韓国では売春OKという情報が流れているが、それに流されてはいけない。売春が合法なのは売る女の側について言えることで、買う男の側についてはまた別の基準が介在することがある。だからその方面では十分気を使った方がいいね、と言ってやった。

性欲以外の感覚的な欲望について言えば、韓国の風景は我々日本人の感性に大いに訴えるものがある。だから目を大きく見開いて、よく見て来たまえ、と言ってやったところが、某がいうには、自分には口腹の楽しみもあちらの楽しみももうあまり拘りがないので、精々目に映るものを楽しむこととしようと。それがいいよ。若い者には若い者なりの楽しみがあり、我々年寄りには年寄りなりの楽しみがある。我々の楽しみは知性に裏付けられていなければならぬ、とわかったようなわからないような、気楽な弁舌を弄して酒肴の席の話題としたところだった。





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