(右隻 133.2×310.0cm 紙本彩色 六曲一双)
「竹林茅屋・柳蔭騎路図屏風」は、右隻が「竹林茅屋」を、左隻が「柳蔭騎路」を描く。「竹林茅屋」は、右端の曲面に「聯珠詩格」巻十二から「邨居」の詩文を記す。絵はその詩の内容を視覚化したものである。詩の内容は、「独木為橋過小村 幾竿脩竹護柴門 白頭不識王侯事 関把牛経教子孫」というものである。
竹林の奥に小さな山荘があって、老人が子どもに書物の講読を施している。詩文の内容からして、孫に牛経を素読させているのであろう。竹林の手前には渓流があって、そこに橋がかかっているが、これは一本の木をかけただけの粗末な橋である。その橋の上を書物を背負った人物が渡ってゆく。これから高士の老人を訪問するつもりなのであろう。
深山幽谷に高士を訪問するというテーマは、蕪村の好んだものだ。
(左隻 同上)
左隻の右端の曲面には、同書巻七の韋荘作「過金陵」の詩文が記されている。その内容は、「江雨霏々江草斉 六朝如夢鳥空啼 無情最是台城柳 依旧煙籠十里堤」というものである。
「柳蔭騎路」とあるように、柳の並木の合間を馬に乗って進む人物が描かれている。その人物のずっと前には、親子らしいものが歩いている。これらのイメージは、原詩にはないので、蕪村の発明であろう。
原詩にある金陵(南京)城の風景を、蕪村は日本の山村の風景に置き換えているわけである。
壺斎様
蕪村の俳号は、田園(村?)将に蕪(あれ)なんとす・・東晋の詩人陶淵明の帰去来の辞からとられたのだろうか。
易水にねぶか流るる寒さかな 蕪村
の句がある。義のために蓁の始皇帝を暗殺しようとした壮士荊軻(けいか)のことを敬愛する陶淵明から学んだのあろう。
蕪村の絵は田園に隠遁した詩人陶淵明の世界を描いているような気がしてならない。
陶淵明を尋ねる詩人、官吏、農夫、子供等がいたようだ。
これら晩年の蕪村の絵は、田園生活を詠う詩を多く残した陶淵明に憧れ続けた絵ではないだろうか。
2016/7/17 服部