ハゲがいない時代:人類史の新たな段階

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「ハゲがいない時代」がやってくるというニュースを見て複雑な気持ちになった。再生医療の発展の一環として、毛髪の再生の研究が進んでいて、他の器官に先駆けて実用化される日が近いのだという。実用化されれば、薄毛の人には福音となるし、すでにハゲてしまった人にももう一度毛が生えてくる望みがあるそうだ。

これが全面実用化した日には、人類の歴史上初めて「ハゲがいない時代」がやってくる可能性が高くなるわけだ。いわば人類史の新たな段階に、我々現人類が突入する、そんなことも夢ではない、というわけである。

だが、これがうれしいことなのか、余計なことなのか、筆者には俄に判断できない。世の中には様々な嗜好があって、ハゲが嫌な人がいるかとおもえば(それが大多数だと思う)、中にはハゲに愛着を感じる人もいる(少数派だと思うが)。今では、ハゲとノン・ハゲとが勢力拮抗しているせいもあって、ハゲを理由に理不尽な差別は横行していない。しかしハゲが少数派になったら、そういうわけにも参らなくなるかもしれない。少数派のハゲは、無慈悲な差別にさらされるかもしれない。

そんなことを思うと憂鬱になる。筆者の場合で言えば、所謂総退却型のハゲが進行していて、陣地の全面喪失は時間の問題だ。再生医療はこういうハゲのタイプにも有効なようで、身体のどっかに毛が一本でも生え残っている限りは、その毛をもとに毛の幹細胞を作り、それをハゲの部分に植え付けることで、なんとか育毛が可能になるらしい。これには痛みは伴わぬようなので、費用弁済の余力がある限り、恩沢にあずかれるようである。

「ハゲが沢山いる時代」から「ハゲがいない時代」への転換期には当然過渡的な現象が生じるわけで、その時代にどう振る舞うか、そうした事態に直面するのは、あまり先のことではないようだ。いづれ近いうちに、ハゲの素質がある人は、そのまま素質を開花させるか、それとも人工的にハゲを逃れるか、深刻な選択に直面するかもしれない。





コメント(1)

壺斎様
 平安時代、鎌倉時代、江戸時代にはハゲが少なかったのか多かったのか?ストレスがハゲを作るのかどうか?
 出家すれば、髪を剃る。僧や尼さんは美しいと思うのだが・・・
そういえば、仏教の祖、仏陀は頭を剃っていない。出家した弟子たちは頭を剃っていたのに、不思議なことです。話がそれました。
 2016/7/18 服部

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