峡中桟道図:池大雅の世界

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「峡中桟道図」(蜀桟道図ともいう)は、険阻なことで知られる蜀の桟道を描いたもの。関中(陝西省)と蜀(四川省)との境の山中にあって、絶壁にへばりつくようにして通じた道だ。その様子が粗末な桟橋を思わせることから、蜀の桟道と称された。

中国の絵画では伝統的な画題として古来描かれてきたが、池大雅は南宗画にかぶれた立場から、これを描いたのだろう。絵からは、断崖絶壁のつらなる山中の険しい様子が伝わってくる。無論実景ではない。大雅は中国の絵を参考にして描いたのだと思われる。(130.9×54.8cm 紙本淡彩)

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これは桟道の部分を拡大したもの。桟道とは本来木を組んで作ったはしご状の道であるから、これは厳密には桟道とはいえない。曲がりなりにも通常の山道の体裁を整えている。その山道を馬に乗った人々が進んでゆく様子が描かれているが、そのいかにものどかな感じは険阻な桟道を行くというイメージには遠い。






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壺斎様
 西暦230年五丈原で没した諸葛孔明は、出師の表を劉備の子劉禅に奉り、この「蜀の桟道」を蜀の大軍を引き連れて何度も通った。絵で描かれているような道ではなく、もっと険阻な道を、孔明が発明した木牛で物資を運ぶ姿があったのではなかろうか。
 池大雅は馬に乗った大人たちが過去の蜀の孔明や、三国志の英雄たちのことを語り合って行く姿を描いたのであろうか。
 2016/8/19 服部

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