こおろぎに見つめられたら

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写真(National Geographic)は、ヒマワリの陰から顔を出して、こちらのほうを見つめているこおろぎ。こおろぎは複眼だから、その目に映ったあなたの顏は、いくつにも分裂していることだろう。目玉には分裂して映るが、その情報が脳に伝達されると、やはり本来通り一つの顏として認識されるのだろうか。コオロギでも神でもない筆者にはわからない。

コオロギに限らず秋の虫の声は、我々日本人には心癒される響きだ。ところが西洋人は虫の声を雑音としか認識しないらしい。コオロギの声も蝉の声もただの雑音だ。どんなに日本文学好きのアメリカ人でも、芭蕉の句「しずかさや岩にしみいる蝉の声」や、万葉集の歌「夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこおろぎ鳴くも」を読んで、何らの感慨をも催さないのではないか。

ところが、コオロギの声を詩に読んだ奇特なイギリス人がいた。ロマン派の詩人ジョン・キーツだ。キーツは「キリギリスとコオロギ(On The Grasshopper And Cricket)」と題した詩の中で、秋の虫を地面の詩人と呼び、その歌声の素晴らしさをたたえている。

このコオロギも、地面の詩人よろしく、ヒマワリの陰にひそみながら地面にへばりつき、あなたに向かって歌いかけようとしているのかもしれない。

秋が深まるにつれ、妄想もまた深まってゆく。





コメント(1)

壺斎様
 <秋が深まるにつれ、妄想もまた深まってゆく>
 隣の国の大統領は妄想にとりつかれたのであろうか。我が国民は彼女の妄想に真剣に付き合わされてきたのでしょうか?
 海を隔てた国も果てしなき妄想の論争がおこなわれてきたが、結果はどうなるのだろうか?
 ひまわりは夏、こおろぎは深まりゆく秋のイメージなのだが・・・・
 どうなんでしょうか?
 2016/11/6 服部

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