トランプはアメリカ版ベルルスコーニ?

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アメリカでは今、トランプをベルルスコーニと比較するのが流行っているそうだ。ベルルスコーニもトランプ同様ビジネスマン上がりだったし、登場した時には誰からもまともに相手にされなかった。にもかかわらず、合計9年間にわたり、イタリアの政治を牛耳った。トランプもベルルスコーニ同様、長期政権を享受するのではないか、そうひそかに噂されているらしい。

たしかに、トランプとベルルスコーニとは共通するところが多い。どちらも好色で金ぴかが大好きだ。既成政治とは一線を画すと見せかけて、司法当局を巧みに手なづけ、訴追を免れるのがうまい。既存のメディアをバイパスして直接大衆に語りかけるところも似ている。ベルルスコーニは自分の所有するメディアを自分自身の宣伝に利用したが、トランプの場合には、ツイッターなどのSNSを利用するという違いはあるが。

ベルルスコーニは、自分が敵とみなした相手と、泥仕合のような汚い喧嘩をくりかえしたが、トランプも政敵やメディア相手に、汚い言葉で泥試合を仕掛けるのが好きだ。噴飯ものなのは、トランプがいじめの被害者を装うことだ。自分はふざけた輩のいじめに対抗して、正義の反撃を行なっているのだ、と見せかけるところがベルルスコーニと似ている。ベルルスコーニも、つねに故の無い攻撃にさらされている可哀そうな被害者というイメージを大衆に売り込む努力をしていた。

大義よりも個人的忠誠を重視するところも似ている。トランプがバノンやクシュナーといった連中を重用するのは、政策的な理由からではなく、あくまでも彼らの自分に対する忠誠を評価したからだ。

ベルルスコーニは、ロシアのプーチンやリビヤのカダフィといったこわもての独裁者と付き合うのが好きだった。ユーロ諸国の指導者たちより、彼らとのほうが気があったのだろう。トランプもプーチンが好きらしい。プーチンなら、自分のビジネスにも便宜を与えてくれるかもしれない、そう思っているフシがある。ベルルスコーニは政治権力を自分のビジネスに最大限利用しようとしたが、トランプにもその傾向は窺える。

しかし二人の間には大きな違いもある。ベルルスコーニは、政治的なアジェンダというものを持たなかったし、その野心もあまり大それたものではなかった。せいぜい毎日を楽しく送れればよかったのだ。一方トランプには、彼一流のアジェンダがある。それはアメリカを偉大な国家として生き返らせることだ。トランプは、その偉大なアメリカの偉大な指導者となり、歴史に名を残したいと思っているようである。

そういう点を考慮に入れれば、トランプをベルルスコーニと比較するのは、トランプにとって心外かもしれない。せめてムッソリーニと比較してくれ、そう言いたくなっても無理はない。もっとも、ムッソリーニのように吊るされてしまうのはまっぴら御免だろうが。







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