ほろ酔い加減で帽子を忘れる

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鈴生から連絡があって、暇を持て余しているからまた馬鹿話をしないかと誘われ、忘年会を兼ねて船橋で飲んだ。場所は先日入ったシャリ膳という鮨屋だ。カウンターに座ってビールで乾杯すると、鈴生は最近ひどい不心得をやってしまったよと言う。一体何をしたんだねと聞くと、立石界隈で友人と飲んでいてすっかり酔っぱらってしまい、自分を失って警察のお世話になったというのだ。いやあこんなことは生れて初めてだ、面目ない、と言うので、今晩はそれを肝に銘じてハメをはずさないように飲もう、と誓いあった次第だ。

ところで今日は昔の女友達の消息を聞かせてくれるのではないのかね、と小生が話を向けると、色々調べてみたが貴殿ご執心のF女の消息はつかめなかった。おそらく結婚して奥様に収まっているんだろう、まああんたには気の毒だったが、そのうちまたなにか判ったら知らせるよ、という返事だったので、小生はいささか残念に思わないでもなかったが、鈴生がそれ以上こだわる様子を見せないので、追及を続けるのをやめた。

今宵も話題はあちこちと漂流したが、そろそろ親の墓の心配をしなければならなくなったとのことで、お互いの家の墓のことに話が及んだ。鈴生の両親は夫婦養子で、養家の墓は佐倉にあるが、その寺の坊主というのが強欲で、しょっちゅう寄付をねだるのでけしからんと思っている。父親の実家の墓は佐倉の近郊にあって、こちらは一族所有の寺だったのだが、一族が四散したおかげで廃寺になってしまった、と言う。

鈴生の両親の養家はもともと堀田藩山形領付の家来だったのだが、それが佐倉に移住してきて、並木町の一角に長屋を作って住みついたのだそうだ。山形から来た他の連中は、いま佐倉小学校のある一角に住みついた。そのあたりを最上町というのは、そういう歴史的背景から来ているのだそうだ。なるほど、俺もそこまでは知らなかった。最上町といえば、小学校時代に仲のいいのがいたが、いまはどうしているかな。

墓の話の序に、先日は谷中墓地に佐藤泰然の墓を、順天堂の連中と一緒に訪ねてきたよ。その際に、泰然の墓の近くに依田学海の墓も見かけた。学海の墓は近年移動したのだね、と鈴生が言うので、俺は学海先生の墓を二度訪れたことがあるが、二度目に行った時には跡形もなかった。墓地の管理事務所に聞いても訳がわからなかったので、寄せられてしまったのかと思っていたが、移動したということは、それを実行した人間がいたということだ。学海先生はまだ無縁仏になっていないわけだ。そのうち是非また訪れてみよう。墓の苔を掃うのは俺の趣味だから、と小生は言った。

お茶の水の順天堂の連中に佐倉を案内したことがあるが、その折に、宮小路の例の武家屋敷の一角にあるS氏の経営する料理屋に入った。うまくはなかったが、そんなにまずくもなかった、と鈴生が言うので、そのSという家老の名は、学海先生の日記にも出てきたような気がするな。学海先生が日記の中で言及する佐倉の人物と言えば西村茂樹あたりのほか、歴史に名を残したようなものはおらんが、それは徳川氏の親藩だったという事情にもよるのだろう。

ところで寺の話にまた戻るが、佐倉の寺にはどこにも鐘がない。そのわけを知っているか、と鈴生が言うので、どういう事情なのかわけを聞くと、佐倉の寺は二度にわたって鐘の徴収を受けた。一度目は幕末で、この時にはお台場の大砲を作るために、その材料という名目で鐘を徴収された。二度目は先の大戦中で、やはり武器製造のための金属徴収の名目で鐘を召し上げられた。それゆえ佐倉の寺の坊主たちは、鐘を作らなくなったのだよ、という話であった。うちの菩提寺は例外で、近年鐘を拵えたはいいが、それを鳴らすと近所からうるさいといって苦情がくるので、鳴らせない、ということだった。なんとも世知辛い世の中になったものである。

お前さんの話を聞いていると、佐倉へは随分未練があるようじゃないか。俺なんぞは、年に三度ばかり親の墓参りに行くほかは、とんと用事が無くなった、と小生が言うと、やはり生まれ育ったところではあり、いろいろと腐れ縁が残っていて、そう簡単に忘却できるものではない。最近は、この年になって、子どもの頃仲良くしていた連中と、また親しく交わるようになった。そのうちの何人かはあんたも仲良くしていたはずだから、よかったら仲間に入りたまえ、と言うので、俺は今更昔の餓鬼仲間と旧交を温める動機があまりないのだよ、と言ってやった。小生ははにかみ屋なのである。

こんな具合で今宵も"馬鹿話"の種は尽きなかったが、調子に乗って飲んでいると、またどんな災難が降りかからぬとも限らぬので、いい加減のところで切り上げようということになり、前回同様何貫かの寿司で腹拵えをして別れた次第であった。その際にほろ酔い加減で、店に帽子を忘れてきてしまったが、これはまあ、まだ笑って済ませられる程度の失態だろう。

(忘れた帽子は、三日後<本日>の昼に取りにいった。ついでに寿司を食ったことは申すまでもない)





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