Post-Truth(脱真実)社会

| コメント(0)
最近欧米のメディアでは"Post-Truth"という言葉がよく目につく。オックスフォード辞典はこの言葉を、今年の流行語に選んだそうだ。意味は、「真実がものを言わなくなった」事態といったようなことらしい。真実を意図的に無視して、あったことをなかったように言い、なかったことをあったように言えば、それはウソになるが、政治の世界ではかならずしもそうではない。政治の世界では、うそも方便なのであって、人々を納得させるうそは、人々をげんなりさせる真実よりも貴い、そういったとらえ方がまかり通っている。そんな事態が例外ではなくなって、恒常化した世界をさして"Post-Truth(脱真実)"社会と言うようになったらしい。

この言葉を流行らせた元凶はドナルド・トランプだ。彼の勢いはたいしたもので、絶対ありえないと思われていたことまでありえたことにしてしまった。その原動力となったのは、彼の言葉の使い方だ。その言葉の使い方は、世の中の常識とはかけはなれていて、ファクト(事実)にとらわれず、人の情動に直接訴える。訴えられたものは、その言葉の魔術にかかって、それが真実かどうかなどはどうでもよくなり、それが自分にとって都合がよいかどうか、それだけを基準に判断する。判断と言うのは正確ではない。判断とはファクトについてなす人間の意識行為であって、ファクトを伴わないものは、判断ではなく反応というべきだ。いまアメリカの政治空間では、こうした事態が進行している。アメリカだけではなく、ヨーロッパや日本でも進行しているといってよい。

日本についていえば、今の政権党は、事実の軽視という点ではトランプの先輩筋にあたる。なにしろあったことをなかったことにし、なかったことをあったことにするのは、今の日本の政権の得意芸だから、これはウソがまかりとおる社会だといってよい。だから日本については、"Post-Truth(脱真実)社会"というよりも、"没真実社会"と言ったほうが当たっているだろう。

ヨーロッパ諸国でも、ナショナリズムの高まりにともない、"Post-Truth(脱真実)"現象が一層進むだろうと思われる。その挙句に現れるのは、オーウェルが"1984"のなかで描いて見せた、欺瞞的な社会だろうと思われる。そこでは、平和を所管する官庁は戦争をこととし、真実を所管する官庁はウソをばらまき、愛を所管する官庁は拷問に熱中し、富を所管する官庁は国民を飢餓に追いやる、そういう倒錯的な社会が描かれていた。







コメントする

アーカイブ