ロイドの要心無用(Safety Last!)

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喜劇映画には、曲芸的な身体演技で観客をハラハラドキドキさせるタイプのものがある。ただ単にハラハラドキドキさせるだけなら、それはサスペンスものとして笑いを伴うことも無いのだが、ハラハラドキドキさせる身体演技にずれのようなものが入り込むと、そこに笑いが生じる。そのずれが、観客の予想を裏切ること大きければ大きいほど笑いの発作も激しくなる。人間というものは、ハラハラドキドキしながら予想していたことが、突然逆の方向に展開するのを見せられると、それまでの緊張が一気にほどけて、それが笑いを引き起こす。ベルグソンの言うとおりである。

ハロルド・ロイド主演の「ロイドの要心無用(Safety Last!)」は、そうしたジャンルの古典的な例だといえよう。この映画の中のロイドは、当時の超高層ビルである20階のビルの壁をアクロバティックによじ登る。彼はもともとアスリートではないし、高所恐怖症の気味もあるようだから、スマートに登っていけるわけではない。自分自身がハラハラドキドキしながら登ってゆくのだし、観客のほうもハラハラドキドキしながらそれを見ている。ロイドは当然のことながら、さまざまな困難に出会い、何度も地上に転落しそうになる。危機に直面したロイドが顔面蒼白になるのは無論、それを見ている我々も心臓がハラハラドキドキするのを感じる。だが、危機に直面するたびに、ロイドはそれを回避する。それが我々観客の緊張感を一挙に解消し、そこから笑いが沸きあがってくる、というわけである。その笑いはだから発作的なものだ。

ロイドがビルの壁によじ登るハメに陥ったのは、出世して恋人と結婚できるようになろうとしたためだった。勤務するデパートが営業不振なので、大規模な見世物で客を集めようとするキャンペーンをロイド自ら提案する。そのキャンペーンというのが、人間が超高層ビルを素手でよじ登るというものだった。そのクライマーとしてロイドは器用な友人を使うつもりでいた。その友人が警察官に追われてビルの壁をよじ登り、逃げおおせたことを覚えていて、この男なら簡単に高層ビルを上るだろうと思ったからだ。ところが、さまざまな事情が介在してきて、ロイド自ら登らざるをえないハメに陥る。今まで一度もこんなことをしたことがなく、どちらかと言えば不器用で小心者のロイドには、あまりにも大それた行為なのだが、そんなことは言っていられないとばかり、ロイドは意を決して超高層ビルの壁をよじ登っていくのである。

よじ登る過程で、ロイドは様々な苦難に直面する。上階から落ちてきたクッキーがロイドの帽子にくっついたおかげで鳩にまとわりつかれたり、犬に吠え付かれて肝を冷やしたり、鼠がズボンの中に入り込んだり、あるいは窓から突き出てきた角材にどつかれて飛ばされそうになったり、ブラインドに煽られて体が反転し、そのタイミングで巨大な時計の針にしがみついたり、次から次へと危機に直面しては、アクロバティックな身のこなしでそれを乗り越えてゆく。そこに繰り返されるハラハラドキドキとその瞬間的な解消とが、我々観客を爆笑の発作に駆り立てるのである。

我々観客は、とりあえずは他人事だと思っているから、ロイドの苦悩を笑って見ていられるが、自分自身がその立場に置かれたらと思うと、背筋がぞっとしようというものだ。

こんなわけでこの映画は、人間の笑いというものに対して、正面から向かい合った素直な作品ということが出来る。喜劇の古典的な作品と呼ばれる所以だ。






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