柳を詠む:万葉集を読む

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柳は中国人がこよなく愛した木で、漢詩では繰り返し歌われてきた。それが日本にもたらされ、日本人も愛するようになった。日本に入ってきた柳は、しだれ柳で、そのしおたれた枝がなよなよと風に吹かれる眺めや、春先に芽を吹く可憐な姿が、日本人にも訴えたのだろうと思われる。

万葉集には、柳を詠った歌が二十首ばかり収められている。柳は早春に芽を吹くので、梅の花の咲く時期と重なり合う。そんなこともあって、梅と一緒に詠われることが多い。次の歌もそのひとつだ。
  梅の花咲きたる園の青柳は蘰(かずら)にすべくなりにけらずや(817)
これは巻五にある大伴旅人の梅花の宴三十二首の中の一首。歌手は粟田大夫。梅の花が咲いているこの園に青柳も芽が吹いた、その芽はもう髪飾りにできるほど成長しただろうか、という趣旨だ。蘰は、青柳で作った男子の髪飾りのこと。古代の中国人の風習が日本に伝わったのだと思われる。古代の日本人は、男でも髪飾りをするほど、美的センスに富んでいたらしい。

次は大伴坂上郎女の柳の歌二首のうち一首。
  我が背子が見らむ佐保道の青柳を手折りてだにも見むよしもがも(1432)
あの人が御覧になっているだろう佐保道の青柳を、手折ってでも見る手立てがあればよいのに、という趣旨。青柳が、愛する人との心のつながりを現している。その人が遠くで見ている青柳と同じものを私も見て、心のつながりを確認したいということだろう。大伴坂上郎女は、大伴旅人の異母妹で、家持の伯母にあたる。生涯に三度も結婚するなど、恋多き女だった。佐保道は大伴一族の館があったところ。愛する人がそこにいるとすれば、それは必ずしも恋人を意味しないかもしれない。

柳は、梅の花と一緒に詠われるのと同じ道理から鶯とセットで歌われた。次の歌はその一つの例。
  うち靡く春立ちぬらし我が門の柳の末に鴬鳴きつ(1819)
春がやってきたという実感を、我が門の傍らに立つ柳の末に鳴く鶯の声で感じた、という趣旨。鶯が梅の枝に止まって鳴いているイメージは容易に浮かんでくるが、柳のしだれた枝に鶯はどのように止まるのだろうか。

この疑問に答えるのが次の一首。
  春霞流るるなへに青柳の枝くひ持ちて鴬鳴くも(1821)
春霞が流れる中で、青柳の枝をくちばしでくわえながら、鶯が鳴いているよ、と詠ったもので、この歌の中の鶯は、くちばしで青柳の枝をくわえながら、つかまっているわけであろう。

青柳はなんといっても、その繊細な枝が命だ。万葉時代の人はその枝を糸にたとえた。次の歌はその一つの例。
  青柳の糸のくはしさ春風に乱れぬい間に見せむ子もがも(1851)
青柳の糸のような枝の繊細なことよ、それが春風で乱れ飛んでしまわぬうちに、是非見せたい人が欲しいものだ、と言う趣旨。この歌い手は、青柳の繊細な枝を見て、それを一緒に見てくれる恋人が欲しくなったものと見える。くはしさ、は繊細さのこと。い間にのいは接頭語。

次は、柳を出汁に使って、恋することのつらさを詠った珍しい歌。
  柳こそ伐れば生えすれ世の人の恋に死なむをいかにせよとぞ(3491)
柳ならば、切ってもすぐに生えてくるが、人が恋のために死んでしまったら、どうしたらよいのか、どうしようもないね、という趣旨。よりによって、恋死にという全く思いがけぬことがらに喩えられるとは、柳としては不本意に違いない。恋を持ち出すなら、せめて失われた恋を共に悲しむくらいの役柄をわりあててもらいたいと、言いたいところだろう。

こうした柳のぼやきに応えるような歌もある。上の歌のすぐ後に置かれた次の歌だ。
  小山田の池の堤にさす柳成りも成らずも汝と二人はも(3492)
小山田の池の堤に柳の枝を挿し木にした、それが無事成長するかどうかは、私とあなたとの二人次第ですよ、という趣旨。つまり柳の挿し木の成長と男女の愛の成就とを重ね合わせているわけで、これなら柳としても面目が立つというものだろう。






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