今日の日本のジャーナリズム

| コメント(0)
昨日のこのブログ記事で、NHKによる731部隊の調査報道を取り上げたが、それは今日の権力によってタブー扱いされているらしい微妙なテーマを、NHKの現場記者が勇気を以てとりあげ、それをNHKが許したことにいささかの感慨を覚えたからだった。だが、ジャーナリズムにおけるこのような動きは、今日の日本のジャーナリズムでは、ますます見られなくなっているというのが、本当のところのようだ。

雑誌「世界」の最新号(2017年9月号)は、「報道と権力」と題して、今日の日本のジャーナリズムの問題点を多面的に掘り下げようとしているが、そのなかで朝日の記者だった渡辺周氏と大学教授である別府三奈子女子の対談が、なかなか考えさせられるものがあった。

渡辺氏は、朝日による例の自己批判が契機になって、調査報道を進めようという機運が弱まっていることを嘆いている。あの自己批判は、氏にとっては寝耳に水だったらしい。どうやら上層部の判断だけでなされたようだ。それについて現場の記者たちからは、経営陣に対して問いを投げかけるものがあまりいなかった。大部分は様子見で、この問題を深刻に受け止めようとする空気が社内には乏しかったということだ。

同じようなことは読売にも起こっている。読売の場合には、例のスキャンダルの渦中において、渦中の人の一人である前川厚労相前次官をめぐり、上層部が政権と結託して、前川氏を貶めるような報道をなりふりかまわず行ったわけだが、ジャーナリズムの自己否定ともいえるこのような動きに対して、やはり現場から疑問の声があがったことはなかったらしい。

朝日の場合には、おそらく権力を憚った(あるいは脅かされた)上層部があわてて自己批判の声明を出したのだろうと筆者などは感じていたが、読売の場合には、権力にべったりすり寄った上層部が、権力の提灯持ちとしての役割を果たしたことは見え見えで、どちらの場合にも、ジャーナリズムの本道から著しく逸脱した行為だといわねばならない。

朝日・読売に限らず、ジャーナリズムの現場では、権力との健全な距離感が失われつつあるようだ、という印象をこの対談からは受けた。渡辺氏は結局、朝日の情けない姿勢にあきれはてて、退社したそうだ。その上で、健全なジャーナリズムに向けての取り組みに邁進しているそうだが、現場の記者にこのような行動をせまるほど、今日の日本のジャーナリズムは常軌をはずれてしまった、ということか。





コメントする

アーカイブ