尻が軽くなった日本の女たち

| コメント(0)
かつて勝海舟は、咸臨丸に乗ってアメリカまで旅し、当地の人々と歓談を交わす中にも、日本は西洋諸国よりあらゆる面で遅れているが、ひとつだけ自慢できることがある、それは女が間男をしないことだ、西洋の女は必ず間男をするが、日本の女は決してそんなことをしない、だから男たちは安心して公務に奔走することができる、という趣旨のことを述べたそうだ。

それから一世紀半が過ぎた。最近の日本では、毎日女の不倫が報道されないことがないくらいに、女の尻が軽くなったとの印象を受ける。えらい政治家の立場にある女から、下は芸人にいたるまで、あらゆる階層の女たちが、いわゆる不倫、飾りなく言えば間男を楽しんでいる。いつからこんなふうに変わってしまったのか、またこれをどう受け取るべきなのか、筆者のような枯れてしまった老人でも気になるところだ。

荊婦との世間話に、最近の日本の女はなぜ尻軽になったのか、意見を聞いてみたところ、それは男のせいよ、と言われた。男が女を大事にしないから、女のほうでも男を出し抜くようになったというのだ。その話を聞いた筆者は、わたしのことも大事にしなさいよ、と言っているのかと気を回したりもしたが、お互い枯れた身では、あまりのこだわりはみっともないかもしれない。

先年、タレントのベッキーが不倫騒ぎを引き起こし、日本中からバッシングを受けた時には、そのあまりのえげつなさに、筆者はベッキーに同情したものだったが、今般のように、様々な日本の女が毎日のように間男騒ぎを引き起こしているのをみると、いちいち彼女らに同情する気にもなれない。しかし、彼女らの気持が少しでもわからないかといえば、そうでもない。

日本の女は性欲には淡白だと言われているが、それは都合のよい決めつけにちがいない。日本の女だって、西洋の女同様性欲はあるものだし、それが満足できていないと、はけ口を求めたくなるのも自然だ。連日報道されている不倫事件の女主人公はみないわゆる熟女たちで、彼女らがセックスの喜びを求めるのは当たり前のことだ。その喜びを追求したからと言って、たしかによくないことかもしれないが、天意を恐れぬ大胆な行為だといって責めるのはいかがなものか。

とはいっても筆者は、いわゆる不倫、くだけていえば間男を、容認しているわけではない。やはり亭主の立場に立ってみれば、床入りのたびごとに女房の貞操を確認しないでいられないのは、やはり不幸なことだ。





コメントする

アーカイブ