平家納経願文見返し鹿図:俵屋宗達の世界

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俵屋宗達の作品のうち、年代がはっきりしている最古のものは、慶長七年(1602)に行われた厳島神社所蔵「平家納経」補修作業に参加した際の補作である。平家納経とは、長寛二年(1164)に、平清盛が一門を率いて厳島神社に参拝したした際に奉納した経巻で、願文を添えて三十三巻からなり、各巻とも法華経の経文に金銀泥で描かれた図柄が添えられていた。これの保存状態が悪くなったため、補修作業が行われたわけだが、その作業に宗達も加わったのである。平家納経といえば、重要文化財として認識されていたはずであり、それの補修作業に加わったということは、宗達の技量が世に認められていたことを物語ると考えてよい。この時宗達は、三十歳前後だったと推測される。

宗達はこの作業の際に、欠損した六図の補作を行った。上はそのうちの一つ、願文見返しの「鹿図」である。平家納経の各絵画作品は、金、銀、真珠などを用いて、豪華絢爛たる雰囲気を演出しているが、この補作は、それらとは全くことなり、単純なフォルムで力強さを感じさせる。金銀の泥を顔料として用いているところは、原作と共通しているが、絵の構想は非常にユニークであり、そこに宗達の見識を見ることができよう。

正方形に近い画面を、斜めの線で区切り、下部の地面を銀泥で、上部の空を金泥で表現している。また、金泥に銀泥を混ぜることで、雲の質感を表現している。鹿は、背中を丸めて頭を下げ、草を食んでいるが、この構図は本阿弥光悦とのコラボレーション「鹿下絵新古今和歌集和歌巻」にも見られる。宗達の気に入った構図なのだろう。

なお、金銀泥というのは、金及び銀を微細に砕き、それに膠をまぜて泥状にした絵具である。宗達の家業俵屋の絵は、この金銀泥を駆使した画法で名が通っていたようである。宗達が平家納経の補修作業に招かれたのは、平家納経もまた金銀泥を駆使して描かれており、それの補修に適任だと考えられたからだと思われる。

(紙本金銀泥 27.5×24.8㎝ 厳島神社 国宝)






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