民謡調長歌:万葉集を読む

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巻十三に収められた歌は、長歌とそれに対する反歌だけからなっている。長歌は全部で六十六首あるが、そのうちの七首は「或本に云ふ」とあるとおり、本歌のバリエーションである。二三を除いて詠み人知らずであり、その調べには民謡的なのどかさが感じられるところから、これらの歌が非常に古いことを推測させる。おそらく古い時代の民謡がもとになっていると思われる。

賀茂真淵は、この巻の歌を、巻一、巻二についで古いと言った。これらの歌はさらに、雑歌、相聞歌、問答歌、比喩歌、挽歌に分類されて収められている。まず、雑歌の中から、民謡的な趣を強く感じさせる歌を取り上げてみたい。

  そらみつ大和の国 あをによし奈良山越えて 
  山背の管木(つつき)の原 ちはやぶる宇治の渡り 
  瀧つ屋の阿後尼(あごね)の原を 
  千年に欠くることなく 万代にあり通はむと 
  山科の石田の杜の すめ神に幣取り向けて 
  我れは越え行く 逢坂山を(3236)

大和の国の平城山を超えて、山城の国の管木の原や宇治川の渡りを過ぎ、瀧つ屋の阿後尼の原にては、千年に一度も欠けることなく、万代にわたって通おうと、山科の石田の神に幣帛をささげて誓いながら、わたしは超えてゆくのだ、逢坂山を、

歌い手は、大和の国から山城の国を経て、逢坂山を超え近江の国に向かっていることが読み取れるが、その目的は、字面からはわからない。おそらく恋人に会いに行くためなのだろうが、そのことはわざわざ言わないでもわかっているというのが、民謡の民謡らしいところだ。この歌は大勢の人が手ではやしながら歌いのがふさわしい雰囲気を持っている。

次は、「或る本に云ふ」とされる歌で、(上の)本歌のバリエーションであるが、こちらは逢いに行く目的が恋人だということを明らかにしている。

  あをによし奈良山過ぎて もののふの宇治川渡り 
  娘子らに逢坂山に 手向け草幣取り置きて 
  我妹子に近江の海の 沖つ波来寄る浜辺を 
  くれくれとひとりぞ我が来る 妹が目を欲り(3237)

平城山を過ぎて、宇治川を渡り、逢坂山に幣帛をささげつつ、近江の海の波が寄せる浜辺に、はるばると私はやってきた、愛しい人にあいたいために、

逢坂山に「娘子らに」をかけ、近江の海に「我妹子に」をかけるところなどは、民謡ならではのかけあいの妙を感じさせる。

次は本歌に対する反歌、
  逢坂をうち出でて見れば近江の海白木綿花に波立ちわたる(3238)
逢坂山を超えて、うち出てみれば、近江の海に白木綿のように白い波が立ち騒いでいる、という趣旨。長い旅路の果てにやっとたどりついた近江の海、そこに白木綿のように白い波が騒いでいる。その波の騒ぎが、女を思い焦がれる男の胸の騒ぎを象徴しているようである。なお、木綿の花は、幣帛のかわりに用いられた。そこから男は、土地の神に対して、自分に対する加護を求める気持ちを込めているのだと解することもできる。






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