巻十三の相聞の部に収められた歌は、いずれも民謡を思わせるような、リズム感と素朴な風情を感じさせる。おそらく古い民謡がもとになっているのだろう。ここではそのうちの長短歌二組を鑑賞してみたい。まず、相聞の部冒頭の歌、
磯城島の大和の国に 人さはに満ちてあれども
藤波の思ひまつはり 若草の思ひつきにし
君が目に恋ひや明かさむ 長きこの夜を(3248)
しきしまの大和の国には人が大勢満ち溢れているけれども、藤波のように思いまつわり、若草のように思い焦がれながら、あなたを恋い明かすのだろうか、この長い夜を、
藤波のと若草のはどちらも枕詞だが、また恋にかかわりのある草の名前だ、それらを並べることで、歌に独特のリズムを醸し出しており、いかにも民謡的な趣である。これは、女の男への気持を詠ったものだろうと思うが、その思いは反歌のほうで、よりストレートに詠われている。
磯城島の大和の国に人ふたりありとし思はば何か嘆かむ(3249)
しきしまの大和の国に、あなたとわたしの二人だけがいるのだと思うと、何も嘆くことはありません、という趣旨で、この世で私にとって存在するのはあなただけだという、女の素直な気持ちが詠われている。これもまたいかにも歌謡的な雰囲気を漂わせている歌だ。
ついで、女に思い焦がれる男の思いを詠った歌。
古ゆ言ひ継ぎけらく
恋すれば苦しきものと 玉の緒の継ぎては云へど
娘子らが心を知らに そを知らむよしのなければ
夏麻引く命かたまけ 刈り薦の心もしのに
人知れずもとなぞ恋ふる 息の緒にして(3255)
昔から言い伝えられてきた、恋は苦しいものだと、玉の緒のように切れ目なく言われてきた、そうではあるが、娘の心がわからず、またその手がかりもないので、夏麻を引くように命を傾け、刈り薦のように心をしのんで、人知れず思い焦がれているのだよ、息をひそめながら、
これは男の片恋のつらさを、なかばユーモラスに歌い上げたもので、おそらく宴会の席などで、みなで声をあわせて歌ったのではないか。
これに付随する反歌は二つある。
しくしくに思はず人はあるらめどしましも吾は忘らえぬかも(3256)
直に来ずこゆ巨勢道から石橋踏みなづみぞ吾が来し恋ひてすべなみ(3257)
一首目は、あの子はわたしを思ってくれないようだが、わたしのほうでは一時も忘れられないほど思い焦がれているのだよ、という趣旨。二首目は、まっすぐ来たのではなく、巨勢路から石橋を踏みながら迂回してきたのだよ、恋に目がくらんで気持ちが乱れてしまったので、と言う趣旨。一首目は自嘲の念をユーモラスに詠っているが、二首目のほうはやや深刻ぶっている。このような歌を歌うことで、男たちが屈託を発散する光景が思い浮かぶようだ。
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