言葉遊びの歌:万葉集を読む

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万葉集巻十六に、長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)の歌八首というのが収められている。これは、物の名を歌に詠みこんだもの(物名歌)で、滑稽歌の一首といえる。この巻にはほかに、滑稽をテーマにした歌が数多く収められているが、なかでも意吉麻呂のこの連作は白眉と言えよう。冒頭は次の歌。

  さし鍋に湯沸かせ子ども櫟津の桧橋より来む狐に浴むさむ(3824) 
子どもよ、さし鍋に湯を沸かしなさい、櫟津()の桧橋からくる狐に浴びさせよう、という趣旨だが、これだけでは何のことかわからない。左注の詞書を読んで初めてその意味合いがわかる。次のようなものだ。

   右の一首は伝へて云はく、「あるとき、もろもろ集ひて宴飲す。
   時に、夜漏三更にして、狐の声聞こゆ。すなはち、衆諸、
   奥麻呂を誘ひて曰はく、此の饌具、雜器、狐声、河橋等の
   物に関けて、ただ歌を作れ、といへれば、
   すなはち声に応へて此歌を作る」といふ。
あるとき大勢が集まって宴会を催した。時に夜中の十二時に狐の声が聞こえた。そこで皆が奥麻呂に呼びかけて言うには、この饌具、雜器、狐声、河橋等の名を盛り込んだ歌を作れと。

つまり、この歌は、饌具、雜器、狐声、河橋等の名前を凝りこんだ即興的な歌だったわけである。歌の中の、さし鍋は饌具、櫟津(いひひつ)つまり米びつが雜器、桧橋が河橋、来む(コン)が狐の声といった具合だ。これらの物の名を即興的に読み込んだ歌を作って披露したわけで、当座は大いに盛り上がっただろうと思う。

次は、行騰(むかばき)、蔓菁(あをな)、食薦(すこも)、屋梁(やのうつはり)を詠める歌。行騰は革製の膝あて、食薦は食事の際の敷物、屋梁は天井を支える横木のこと。
  食薦敷き青菜煮持ち来む梁に行縢懸けて息(おき)しこの君(3825)
食薦を敷き、青菜を煮てもってこい、梁に行騰をひっかけて休んでおられるこのお方に、という趣旨になる。意味にはいまひとつわからないところがあるが、即興的な滑稽さは伝わってくる。即興とは、意味よりも勢いが大事なのだ。

次は、蓮葉を読む歌。蓮の葉のことは説明の必要はないだろう。
  蓮葉はかくこそあるもの意吉麿が家なるものは芋の葉にあらし(3326)
蓮の葉とはこんなにも大きかったのですね、わたしの家にあるのは、あれは芋の葉っぱだったらしい、という趣旨で、これも何が言いたいのかよくはわからぬが、歌手の謙遜の気持は伝わってくる。

次は、香、塔、厠、屎、鮒、奴を詠める歌
  香塗れる塔にな寄りそ川隈の屎鮒食めるいたき女奴(3828)
香を塗っていいにおいを立てている塔には近寄るな、川隅の糞ふなを食っている女のようなものだから、という趣旨で、これは意味も分かりやすい歌だ。表面の美しさと、内面の汚さを対比するところが面白い。

次は、酢、醤(ひしほ)、蒜(ひる)、鯛、水葱(なぎ)を詠める歌
  醤酢に蒜搗(つ)きかてて鯛願ふ我れにな見えそ水葱の羹(3829)
醤酢にニラをまぜて作ったタレで鯛を食いたいものだ、水葱の羹だけはごめんだ、という趣旨。水葱は、水葵のこと。あまり上等な食い物ではなかった。そんなものを日ごろ食っていたのだろう、たまには上等の食い物を食わせてくれと、ユーモラスに訴えた歌だ。

物名歌としては、上記の意吉麻呂の歌のほかにも数種収められている。そのうちの、忌部首(いむべのおびと)の、數種の物を詠める謌一首
  からたちと茨刈り除(そ)け倉建てむ屎遠くまれ櫛造る刀自(3832)
からたちの茨を刈りのけ、そこに倉を建てよう、だから糞は遠くでしてくれ、そこのおかみさん、という趣旨。倉を建てようとしている土地に、おかみさんが糞をしているところを見て、お願いだからよそでしてくれと訴えているような歌だ。この歌の場合には、第三者によって物名が指定されているわけではないが、さまざまな物の名が繰り込まれていることで、物名歌の遊びに通じるところがある。







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