笑いのかけあい:万葉集を読む

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万葉集巻十六は、笑いを誘う諧謔の歌が多く収められているが、なかでも互いに相手を笑いあうという珍しい趣向のものがある。これは、一人ではできないことで、かならず笑うべき相手がいる。あえて相手を求めてまで笑いをかけあうというのは、今の日本ではなかなかないことだが、万葉の時代には人々を喜ばすために、よく行われていたのかもしれない。そんな歌のやりとりを取り上げてみたい。

まず、池田朝臣の、大神朝臣奥守を嗤ふ謌一首。
  寺々の女餓鬼申さく大神(おほみわ)の男餓鬼賜(たは)りてその子生まはむ(3840)
池田朝臣が大神朝臣を笑った歌で、趣旨は、寺々の女餓鬼がいうには、大神の男餓鬼を賜り、その子を産んでみたいものだ、とうもの。露骨なセックスの誘いだ。大神は直接は大神朝臣をさしているが、三輪神社の神ともとれる。そうだとしたら、寺と神社の結婚ということになる。餓鬼がでてくるのは、大神朝臣の痩せていることをあてこすったものと考えられる

これに対して、大神朝臣奥守の報へて嗤ふ謌一首
  仏造る真朱(まそ)足らずは水たまる池田の朝臣が鼻の上を穿(ほ)れ(3841)
仏像を作るのに朱が足りなかったら、水がたまっている池田朝臣の鼻の上を掘りなさい、という趣旨。真朱は朱色の塗料。水たまるは池の枕詞。池田朝臣は赤鼻だったのだろう。だからそこから朱をけずりとって塗料の代わりにしろというわけだ。前の一首が、大神朝臣の痩せを笑ったのにたいして、こちらは池田朝臣の赤鼻を笑ったとみえる。互いに相手の弱点を笑いの種にしているわけである。

次は、平群朝臣の嗤ふ謌一首
  童ども草はな刈りそ八穂蓼を穂積の朝臣が腋草を刈れ(3842)
小僧どもよ、草など刈っていないで、穂積の朝臣の腋の毛を刈りなさい、という趣旨。八穂蓼をは穂の枕詞。その穂積の朝臣の腋毛を刈れというのだから、よほど腋毛が豊かに茂っていたのだろう。

これに対して穂積朝臣の和ふる謌一首
  いづくにぞ真朱穿る岳(をか)薦畳平群の朝臣が鼻の上を穿れ(3843)
真朱を掘る岡などどこにあるのだ、そんなものより平群の朝臣の鼻の上を掘れ、という趣旨。薦畳は平群の枕詞。この歌も相手の赤鼻を笑った歌だ。万葉の時代には、赤鼻が嘲笑の対象になっていたらしい。

次は、黒き色を嗤咲ふ謌一首
  ぬばたまの斐太(ひた)の大黒見るごとに巨勢の小黒し思ほゆるかも(3844)
斐太の大黒をみるたびに、巨勢の小黒を思いだすことよ、という趣旨。斐太も巨勢もともに色が黒かったのだろう。なかでも。斐太のほうがより黒かったので、大黒と言った。どちらにしても、色の黒い二人をあざ笑ったのである。

これに対して、答ふる謌一首
  駒造る土師(はじ)の志婢麿(しびまろ)白くあれば諾(うべ)欲しくあらむその黒色を(3545)
駒を作る土師の志婢麿の色が白いので、黒を欲しがるのは無理もない、という趣旨。黒をあざ笑ったことに対して、相手だって、駒を作るのに黒が必要だと言って、反撃したものだ。

このやり取りには、以下のような詞書がついている。
   右の歌は傳へて云はく、「大舎人、土師宿祢水通といふものあり。 
   字は、志婢麻呂といふ。時に、大舎人、巨勢朝臣豊人、
   字は正月麻呂といふものと、巨勢斐太朝臣と二人、ともに、
   顔黒き色なり。ここに、土師宿祢水通、この歌を作りて嗤咲へば、
   巨勢朝臣豊人、これを聞き、すなはち歌を作りて、
   酬へ咲ふ」といふ。
三人の間で、色をめぐるやりとりがあったわけである。

次は、戯れて僧を嗤ふ謌一首
  法師らが鬚の剃り杭馬繋ぐいたくな引きそ法師は泣かむ(3846)
法師らのひげの剃り杭に馬をつないだら、あまり強く引っ張るなよ、法師が泣くだろうから。鬚の剃り杭とは、ひげを剃ったあとに残る青々とした部分、あるいは無精ひげのことか。そんなものに馬をつなぐわけにはいかないはずだが、剃り杭の杭にかけてつないだことにしたのだろう。

これに対して、法師の答ふる謌一首
  壇越やしかもな言ひそ里長が課役(えだち)徴(はた)らば汝(いまし)も泣かむ(3847)
檀家のかたよ、そう言いなさるな、里長が税金をかけてきたら、あんたがたも泣きたくなるだろう、という趣旨。無精ひげをからかわれたお返しに、相手方の税金への恐怖をからかったわけだ。







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