安倍政権の外国人受け入れ政策

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深刻な人手不足を背景に、経済界が外国人の受け入れを拡大して欲しいと安倍政権に強く要望したところ、安倍晋三総理はそれに応える決断をしたと言う。ただし条件付きで。これは移民を容認することではなく、あくまでも短期的な外国人労働の需要に応えるものだと。

こういう安倍晋三総理の言葉からは、外国人を人間として受け入れるのではなく、あくまでも労働力として受け入れるのだという考え方が伝わって来る。移民という言葉を避けるのは、移民を一人の人間として受け入れるというニュアンスが強く、事実現在の国際社会では、移民問題は人間の問題として捉えられているからだろう。

外国人を単なる労働力として受け入れるというのであれば、それを人間として遇する必要はなくなる。日本は外国人労働者を、人間としてではなく、労働力の担い手として受け入れるのであるから、彼あるいは彼女に対して、市場の需給に従って適正な賃金を得させてやればよいだけで、それ以上のことは必要がないということになる。受け入れる側としては、至極都合のよい理屈だ。

しかし、外国人労働者といえども、人間ではないとは、誰もいえない。したがってそういう人を労働力として受け入れるについては、彼あるいは彼女を人間として受け入れる姿勢がないと、不都合なことになると思う。逆にいえば、人間として受け入れるつもりがないのならば、初めから外国人の労働力に期待するのはやめたほうがよい。

今現在でも、すでに120万人以上の外国人が日本で働いているが、そのなかには単に安い労働力としてだけ都合よく使われ、実質的には奴隷に近い境遇のものもいるとして諸外国から批判を浴びているところだ。それは、外国人を人間として見ず、労働力の担い手と視る立場に根差している。この立場を深く反省しないで、外国人を単なる労働力をして受け入れ拡大するならば、奴隷的境遇の外国人が大規模に増えることとなり、日本の労働政策が批判されることはもとより、日本の国のイメージそのものが著しく損なわれるに違いない。

日本の支配層は、日本人をも人間扱いしてこなかった歴史がある。そういう土壌の中で、無権利状態に近い外国人を大量に受け入れることは、賃金奴隷よりもっと始末のわるい債務奴隷的境遇にある外国人を大量に生むことになりかねない。それに対しては、労働力の提供先の国々はもとより、世界中から強い批判を呼ぶことになるだろう。やはり、外国人を受け入れるについては、彼らを人間として受け入れるという視点を持つことが大事であり、その視点を持つ覚悟がないならば、初めから外国人に頼ることは慎むべきなのだ。





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