ボクシング連盟は日本社会の縮図

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日本ボクシング連盟が、会長を先頭にして不正を働いていたというので、大騒ぎになっている。それを見ていると、どうもこれはボクシング連盟だけの問題ではなく、日本的な組織そのものの持つ病理と言うか、生理のありようが反映していると思わざるを得ない。

連盟の会長某氏は、なかなかのやり手のようで、連盟の主導権を握るや連盟内部に圧倒的な支配力を及ぼすようになり、誰もそれを制止できないばかりか、みんなで渡れば怖くないとばかりに、連盟全体で不正を働くようになったように伝わって来る。こうした、絶対的な支配者を戴いた組織というのは、日本ボクシング連盟に限らず、日本の至る所に存在するわけで、どの組織もボクシング連盟と同じような問題を抱えているのではないかと、強く思わされるところだ。

こういう、ピラミッド型の支配体制を特徴とし、内部からの批判を許さず、外部に対して閉ざされた組織の在り方と言うのは、日本の組織の伝統的な特徴だった。かつては封建時代の藩がそうだったわけだし、明治以降には軍隊組織や国家体制がやはりそうだった。戦後は会社組織がその一端を担ぐようにもなったが、最近ではスポーツ界を席巻しているようである。

こうした組織は、みな共通して、小天皇ともいうべき独裁者をトップに担ぎ、その独裁者の意向が組織の末端まで行き届くようになっている。それを支えているのは、独裁者を先頭に立て組織とその恩恵を享受しようとする集団成員のメンタリティだ。こうしたメンタリティがかつては日本社会全体に行きわたっていたわけだが、かなり開放的になったと言われる現在でも、やはり死に絶えてはいない。日本の政治の現状を見るにつけても、こういう傾向は却って強まっているのではないかと思われるほどだ。なにしろ役所や政党組織においても、組織の内部論理が優先され、外に向かって開かれていないし、独裁者はやりたい放題、その手下どもは独裁者の顔色ばかりうかがっている、といったような事態が蔓延している。

こういうありさまを日々眼の前に見せられると、日本社会は徳川封建時代から一歩も出ておらず、あいかわらず小天皇を戴いた閉鎖的な小空間が林立して日本社会を閉塞させている、というふうに思わされるところだ。こうした状況のなかでは、日本ボクシング連盟の騒ぎは、この組織特有の問題というよりは、日本社会全体の縮図を表しているように思われる。





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