旧友と久しぶりに会う

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旧友鈴生と久しぶりに会った。昨年の正月に会って以来のことだ。実は今年の小月にも会うつもりではいた。彼とは毎年正月に会っていたし、年賀状のやり取りも欠かさなかった。ところが今年は年賀状も届かなかったし、メールを送っても返事がない。こんなことはこれまでなかったので、もしかしたら不吉な事態でも起こったのかと心配になり、かれの携帯電話に連絡を入れた所、反応があった。今年はいろんなことが重なって身動きが取れないほど忙しい。それであんたへの連絡もままならなかったが、まだぴんぴんしているから、今晩にでも飲もうと言う。その元気そうな声を聴いて小生は一安心し、身辺が落ち着いたら連絡してくれたまえといって電話を切った。その後彼からの連絡を待っていたところ、年も押し詰まってから、一緒に飲もうやとのメールが来た次第だった。

船橋駅で待ち合わせ、いつものすし屋しゃり膳に入る。鈴生は心なしかふくよかな顔つきなので、肥ったようだなと指摘すると、体重は増えていないという。体調はどうかねと聞けば、腰のヘルニアで苦しんでいたが、いまは小康状態だという。手術をしたがなかなかよくならないで、別の医者に変えたところが、多少良くなってきた。腰のヘルニアは抜本的な治療法がないので、痛みをだましだまし生きていくほかはないようだ、と悟ったような顔つきをする。

我々の共通の友人岩生は脳梗塞の後遺症で半身不随になったそうだ。この男は、今年の二月に細君をなくし、その後自宅を火事で焼失し、いまは自分が持っているアパートの一室で不自由な生活をしているという。岩生とは、二人で山歩きをした仲だったので、その不幸な境遇が気の毒に思われる。

ところで先日は中学校の同窓会が催されたが、あんたはこなかったな、と鈴生がいうので、俺のところには紹介状が来なかったぞというと、そうか、あんたが引っ越ししたことを、学校側で把握していなかったのだろう。俺から連絡しておいてやろうか、と鈴生がいうので、この年になって中学校の同窓会でもなかろうし、おれには是非会いたいというような同窓生もいないから、別に連絡せんでもよいと、と答えた。

ご母堂の様子を聞くと、今年百歳の誕生日を迎えたそうだ。そこで身内でお祝い会を開いて上げたと言って、その時のご祝儀に用意したという扇子を二扇贈ってもらった。あんたとかみさんの分だという。百歳になってもまだぴんぴんしているよ。この分だとこの先まだ十年以上は生きるのではないか。俺のほうが早く死ぬと思うよ。そう鈴生はいうので、いやいや、お前さんも百歳まで生きる口だろう。だいたい我々団塊の世代は、百以上生きるものが多いというじゃないか。さる試算によれば、我々の世代で百歳以上生きるものは53万人に上るという。その53万人の一人に、お前さんも入ることになると思うよ。

俺について言えば、百歳以上生きるつもりはないね。五体満足で、意識もしっかりしていれば別だが、俺の場合には短命の家系だし、癌をわずらったこともあるから、そこまで長く元気でいることは出来ないと思う。そう言って小生は、先日見たNHKの番組に言及し、自分の死に方をあらかじめ周辺に伝えておくつもりだと言った。

中学校の同窓会の話題が出たところで、子ども時代のことがなつかしく思い出された。小生が小学生の五年生の時に組み込まれたクラスは、ほかのクラスに比較して、秀才が多いというので学校の評判だったそうだが、それは担任の横手先生という女性教師の指導がよかったのだろうと鈴生がいうので、あの人は、子ども心にもすばらしい教師だったと思うよ。やさしさときびしさが同居していて、ものごとのけじめを子供たちに植えつけた。それで子供たちはみな、ケジメをつける生き方を身に着けたんだろうな。そのけじめのなかには、勉強をすべき時には勉強をするという姿勢も入っていたわけだ、と小生は小学校時代の懐かしい日々を思い出しながらコメントした次第だった。

この小学校時代の城某という同級生が、やはり同級生だった兼某女史と結婚していたことは、いままで知らなかった。それを鈴生が不思議そうにいうので、いや俺は城某とはほとんど付き合いがなかったからな、と釈明した。この兼某女史というのは、非常にはきはきした女性で、横手先生が存命中は、毎年同級会を企画していた。決して美人ではないが、男から愛されるタイプの女性だと思う。その彼女を城某がどういう具合でものにしたのか、無論小生にはわかろうはずもない。

佐倉の学校の話題が出た所で、今度は佐倉出身の有名人のことに話題が移った。なかでも依田学海のことについては、小生が非常に入れ込んでいることを鈴生は知っているので、どうだね、依田学海の墓には行って来たかね、と聞かれたりした。俺はいま依田学海を主人公にした小説を書いているので、そのからみで改めて学海の墓参りをしてきたよと伝え、どうだい俺の小説は呼んでくれたかね、と聞いた。ところが鈴生はまだ読んでいないと言う。そうか、この小説は今度の日曜日で完結するから、そのあと全体を一つのサイトにまとめて公開するつもりでいる。そのサイトを近いうちに案内するから、是非それを読んで、感想を寄せてくれたまえ、と言った。

こんな具合で今宵は、旧友に自分の小説を売りこむことで、お開きにした次第だ。





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中学時代の旧友との酒を飲みながらの談義とはいいですね。私の田舎では両親もなくなり、長男且つ主催者として法要に時折帰郷し13回忌まで終えており、中学までの旧友とはその際数人とあっていました。また田舎の親戚は多数健在です。旧友は皆全く違う人生を歩んでおり、孫もいますがそれでも故郷の思い出と、幼い時期を共有した旧友に会うのはホッとします。それにしても散人さんは四方山話仲間とのブログ含め会話の幅が広く、かついずれの話題でも深いですね、教養人の集まりと感心しています。

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