二つ目の窓:河瀬直美

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河瀬直美の2014年の映画「二つ目の窓」は、奄美大島を舞台にして、少年少女が大人へと成長してゆく過程を、美しい自然描写を交えながら、ゆったりとした感覚で描いている。映画に出て来る少年少女は、それぞれが思春期らしい悩みを抱え、かけがえのない人の死や、人間不信を経験しながら、すこしづつ大人に近づいていく。そしてかれらが大人になったことは、島の海岸の砂浜の上でセックスすることで象徴的に表現される。セックスで結ばれたかれらは、サンゴ礁の海で、イルカのように泳ぎ回るのだ。

この少年少女は、高校一年生の16歳ということになっており、たしかにその表情にはまだ幼さが残っているのだが、そのかれらのするセックスがあまり不自然に映らないのは、映画の運び方が巧妙なせいだろう。その割には、題名がいまひとつしっくりしない。「二つ目の窓」とは何を意味するのだろうか。

この少年少女には、それぞれ悩みがある。少女の母親は奄美の伝統的な巫女・ユタで、独自の生活感を漂わしており、それが娘にはいまひとつしっくりしないらしいのだが、母親は、その娘を取り残して死んでしまう。奄美のユタは、基本的には母親から娘へと引き継がれるようなので、取り残された娘は、巫女となるべき修行ができないわけだ。しかし、この娘は母親の死を通じて、一人前の女へと成長する。セックスをしようと言い出すのは、この娘の方なのだ。

一方、少年のほうは、母親に対して強い不信感を抱いている。母親は、実の父親と離婚してこの島へやってきたのだが、島で男をこしらえて、息子の目には淫乱な暮らしをしている。それが息子には耐えられない。そこで、母親を罵倒するのだが、罵倒された母親が姿をくらますと、かけがえのない人を失った気持ちになって、母親を許す。少年が、それまで拒絶していた少女からのセックスの誘いに乗るのは、そんなときなのだ。

こんなわけで、この映画は、少年少女が成人になるためのイニシエーションの物語である。そのイニシエーションのプロセスが、奄美の美しい自然をバックに、甘美な雰囲気で進んでゆく。時には、台風で海が荒れたり、また映画の冒頭では、刺青の男が海に浮かんでいたりと、荒々しい場面もあるが、それはイニシエーションのプロセスにアクセントとして作用している。

奄美の自然と並んで、習俗もそれとなく紹介されている。特に、危篤に陥ったユタの母親を囲んで、周囲の人々がサンシンの音に合わせて歌い踊る場面は見どころがある。それと、ヤギの首をカミソリで裂き、殺すシーンが二回出て来るが、こういう残虐なシーンは、人によっては、耐えがたいだろうと思う。実際、小生も見るに耐えなかった。





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