パリ、テキサス:ヴィム・ヴェンダース

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ヴィム・ヴェンダースといえば、「都会のアリス」を始め、ロード・ムーヴィーの名人という印象が強いが、「パリ、テキサス」も広い意味でのロード・ムーヴィーに入るだろう。ただし、構成はすこし入り組んでいる。映画は大きく二つの部分からなるが、前半では放浪していた主人公の男が弟によって連れ戻される途中の旅を描いており、後半はその男が自分の息子を連れて、離別した妻を求めて旅をするところを描いている。前半も後半も旅をするという点では、ロード・ムーヴィーの条件を満たしているが、ロード・ムーヴィーとして相互に深い関連があるわけではないので、二つのロード・ムーヴィーの物語が併存しているような印象を与える。

映画の眼目は、自分の責任によって家族を解体してしまった男が、再び家族を取り戻そうと目指すところにある。男のそうした意図が成就して、バラバラになった家屋が再び結びつけば、物語としてはいうことがないのだが、そうはならない。男は、折角妻を見つけ出し、その妻がもう一度家族をやり直したいと願っているにかかわらず、自分の意志から家族を取り戻すことを拒絶してしまうのだ。

こんなわけで、この映画は何が言いたいのか、よくわからないところがある。男は自分の意志で家族を解体した後、それをいったんは取り戻そうとするが、やはりそれをあきらめて、家族を再び解体させる。なぜそうなってしまうのか。画面からは、明確なメッセージが伝わってこない。それ故、大部分の観客は消化不良のような状態に陥り、それをなんとか合理的に説明しようとして、この男は性格的に破綻しているのだと思ったりするわけだ。

男がそもそも家族を解体したわけは、妻への不満であったらしいことが、画面からは伝わってくる。その妻が十七・八の若い娘のときに、男はすでに中年だった。だから、互いに理解しあうことがむつかしかったのだろう。男の方から一方的に家を捨てて、放浪の旅に出てしまった。それから四年たってから、ひょんなことから弟によって所在を突き止められ、小さな息子が養われている弟の家に連れ戻される。

そこで息子と接しているうちに、男には父親らしい気持ちがわいてくる。そうすると、この息子のためにもういちど家族を持ちたいと考えるようになる。そこで男は、息子を誘惑して、二人で妻を探す旅に出るのだ。その結果、妻と巡り合うことができた。そのうえ、妻は昔のことを許してくれ、もう一度やり直す気になってくれる。ところが、そこのところで男は二の足を踏んでしまうのだ。結局男は、妻と息子と自分とで家族をやり直すことはせずに、自分一人だけ身を引いて、再び放浪の旅に出ようとする。その旅こそ、ロード・ムーヴィーにふさわしい本当の旅になるのだろうが、映画はその手前のところで終わってしまっている。

こんなわけでこの映画は、一応家族をテーマとして、家族が成り立ちうるための条件とは何かを考えさせるようになっているようだが、男の行動があまりにも身勝手なので、まともに考えようとする努力がむなしくなるところもある。というのも、こういうタイプの男は、家族を持てないばかりか、世間からもつまはじきにされる定めなのであり、そんな男に家族がもてるわけもないからだ。

そんなわけだから、映画のラストシーンで、母子が抱き締めあうシーンを見せられても、それをどんなふうに受けとめたらよいのか、観客としては気分がしらけるところだろう。

なお、タイトルの「パリ、テキサス」とは、フランスのパリとは関係ない。ここでいうパリとは、アメリカのテキサス州にある自治体の名前なのだ。そのアメリカを舞台としているので、ドイツ映画に関わらず、登場人物はみな英語を話している。

ところで、映画の前半では非常に重要なウェイトをしめていた弟夫婦が、後半ではまったく出てこなくなる。これは、弟やその妻が、主人公やその息子について、献身的に振る舞ってくれていただけに、かれらにとってむごすぎる扱い方ではないか。そんなふうに思わせられるところがある。






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