幻の光:是枝裕和

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「幻の光」は、是枝裕和のデビュー作である。テーマは女の生き方だ。夫を不可解な事故で失った女が、小さな子どもを伴なって別の男に嫁入りするが、前の夫のことが忘れられないで、いつまでもこだわり続ける。そんな妻を、新しい夫は忍耐を以て受けとめるといった内容の話だ。

再婚話はいくらでもあるが、この映画の中の女は、恋愛感情から新しい男と結ばれたわけではなく、生活のために再婚したというふうに伝わって来る。だから前の夫への感情をいつまでも清算することができない。それには、前の夫が自分の理解できない理由で死んだということもある。この女性は、まだ少女時代の頃に、家出するおばあさんを引き留めることができず、そのためにおばあさんを、おそらく死なせてしまったことがトラウマとなっていたのだが、それに重なるようにして、夫が謎の死、おそらく自殺をする。彼女にとっては、ダブルの打撃となって自分を苦しめるのだ。

夫が死んだとき、生まれたばかりの男の子がいた。そんな時に自殺するのであるから、よほどの事情があったのだろうが、それが女はまったく思い当たらないのだ。だから彼女は、夫が自分に対して不満を持っていたのではないかと、苦しんだりもする。自分としては、精いっぱい夫を愛していたのであるが、その夫に理由もなく死なれることはつらいことだ。

そんなわけで彼女は、子どもが五つになる頃までは、再婚しないで頑張っているが、次第に心細くなったのだろう、知人から紹介された男の家に嫁入りすることになる。文字通り嫁入りなのだ。男と愛によって結ばれるというよりは、生活の基盤を確かめるために、男の家に嫁として入り、男の家族の面倒を見ながら、自分と子どもの生活も確保しようというわけだ。

さいわい、夫となった男は気持ちのいい男で、女に対して寛大な気分で接してくれる。女が前の夫へのこだわりを見せても、嫉妬して怒ることはしない。女の感情をやさしく受け止めてくれる。加えて女の子どもにもやさしく接してくれる。女としては、文句のいいようのない境遇なのだ。しかし、前の夫へのこだわりはまた別のことだ。そういうわけで彼女は、つねに自分が前の夫へ引き戻されるのを感じる。その挙句に子供を捨てて蒸発してしまおうともする。だが、なんとか自制することができる。他人の葬儀に接し、残された人々が死者を火葬するところを見て、自分もかれらと同じ残されたものとして、死者との別れを実感することができたからだ。その危機を乗り切った彼女は、おそらく新しい夫との間で、いい関係を築くことができるのではないか、そんなふうに観客に思わせながら、映画は終るのである。

映画を見ての印象は、暗い画面が多いということだ。明るい画面もないわけではないが、全体として暗い画面の割合が多い。しかもその暗い画面は、ロングショットの長回しを駆使して、ゆっりと進んでゆく。それがまさに、登場人物の暗い気持をあらわしているようにも見える。

この映画には、トンネルをくぐる場面が数多く出て来るが、これも登場人物の気分を物語っているのだろうか。女主人公が映画の始めの頃に住んでいたところも、アーケード状になっていて、トンネルのようなものなのだったし、その後も、折にふれてトンネルをくぐる場面が出て来る。トンネルというのは、こちらの世界とあちらの世界を結ぶようなイメージを持っているので、人生の飛躍のようなものを感じさせるところがある。この映画は、その飛躍を何度も見せることで、女の不安定な気持ちを表現しているのかもしれない。

女が赴いて行く新しい男の家は、大阪発の列車を金沢駅の手前でおりたところにあるとされているが、そのあたりに土地勘のない筆者には、場所を特定することができなかった。北陸地方の、海に面した小さな漁村のようである。女が少女以来住んでいたところは、尼崎だとアナウンスされる。この女も、女の新しい夫となった男も、どちらも関西弁を話すのだ。

ともあれ、この映画を通じて是枝が表現したかったことは、女をめぐる社会的な問題と言うよりは、女の個人的な感情だったように思われる。その点では、「誰も知らない」以降本格化する社会的な視点は、この映画ではまだ表に出ていないといえる。






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