ランド・オブ・プレンティ:ヴィム・ヴェンダース

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ヴィム:ヴェンダースの2004年の映画「ランド・オブ・プレンティ」は9.11後のアメリカ社会の一断面を描いている。9.11テロはアメリカ国民に深刻なダメージを与え、アメリカにはイスラムに対する敵意が蔓延するようになった。その敵意がイラク戦争を起こさせるのであるし、またヘイトクライムを増加させもした。トランプ大統領の登場にも、そのような敵意による社会の不寛容と分断が、幾分かは作用しているのだと思われる。

この映画には、イスラムに対する敵意を体現したような男が出て来て、その敵意をバネにして、イスラムを標的にした監視活動を行っている。不審な人物がいたら、それをテロリストとして、締め上げようというのがこの男のモチーフである。この男は、映画の中では陸軍の特殊部隊を僭称しているが、どうやらそれは方便のようで、実際には私設の監視員、アメリカ特有のヴィジラントの変形のようなものらしい。この男はボランティアとして、テロ監視の役割を果たしているわけだ。

一方、この男には姪がいて、その姪がはるばるイスラエルからアメリカへやってきて、叔父であるこの男を探す。母親から伯父宛の手紙を携えて。彼女は、ロサンゼルスのキリスト教系福祉施設=伝道所に身を寄せて、叔父の手がかりを探すうちに、その伝道所の中で伯父と出会う。伝道所の一クライアントが路上で何者かによって殺され、伝道所に運び込まれてきたところ、叔父もそのクライアントを追って伝道所の中に立ち入ったのだ。叔父がクライアントを追ってきたのは、クライアントがテロリストだと思い込み、そのテロリストが殺されたのは仲間割れか何かだろうと思い、真実を解明しようとして、クライアントを追いかけてきたというわけだ。

ここから、叔父によるテロリスト組織の摘発努力が始まる。叔父と出会った姪もその追跡に同行する。かくして二人によるテロリスト組織摘発の努力が展開されるわけだが、その挙句にわかったことは、自分たちが全く誤解していたということだった。殺されたクライアントはテロとは全く無関係で、彼を殺したのは白人の無頼漢で、目的を持たないいきずりの犯行だったというのだ。

そういうわけでこの映画は、アメリカ人の対テロの戦いの一端を描いているようで、実際には、それを茶化しているところがある。大体、ロサンゼルスという町は、リベラルな土地柄で、ファナティックな反イスラム感情が渦巻くということは考え難い。そのロサンゼルスを舞台にして、反イスラム感情とそれをバネにした対テロ活動を描いたわけだから、ヴェンダースにはアメリカの一部で盛り上がった反イスラム感情を茶化す意図があったのだと思われる。

この映画は、叔父による、多少ずっこけた対テロ監視活動を追うかたわら、ロサンゼルスにおける貧困とか犯罪にも目を向けている。伝道所のクライアントが白人の無頼漢に意味もなく殺されるのは、アメリカ社会の病理を象徴しているものだし、また、膨大な数のホームレスが政府やメディアから無視され、辛酸を舐めながら生きている現状、そうしたものに目を向けることで、アメリカ社会の矛盾を暴きだして見せるところもある。

面白いのは、この叔父が、ベトナム戦争によるPTSD患者だということだ。この男は、べトナム戦争中にひどい目にあい、それがもとでPTSDに悩むようになった。普通なら、こういう目にあった人間は、戦いから一歩身を引くようになるものだが、この男の場合には、対テロの戦いに向って自分自身を奮い立たせている。この男にとって、アメリカはベトナム戦争に勝ったのであって、それには自分の犠牲も貢献している。その犠牲の上に成り立っている今のアメリカを、テロリストによって破壊されてなるものか。そうした正義感のようなものがこの男の生きるバネになっているのである。

こんな調子でこの映画は、多少ひねった角度から、同時代のアメリカ社会の一断面を映し出したものと言えるのではないか。






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