白バラの祈り:反ナチ抵抗運動の悲劇

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反ナチス抵抗運動の悲劇を描いた映画「白バラの祈り」は、実際にあった出来事を映画化したものだ。1943年2月18日に、ミュンヘン大学の構内で反ナチスビラを配布したミュンヘン大学生の兄妹がゲシュタポによって逮捕され、その四日後に有罪判決を受けたうえで、その日のうちに死刑執行されたというもので、映画はこの四日間の出来事を忠実に再現したといわれる。原題の「ゾフィー・ショル 最後の日々(Sophie Scholl - Die letzten Tage)」は、逮捕された妹に焦点をあてて、まさに彼女の人生最後の四日間を浮かび上がらせたものだ。

ミュンヘン大学構内での兄妹のビラまきシーンは、サスペンスタッチで、見ている者に強い緊迫感を与える。その結果、兄妹は大学の職員によって発見され、そのままゲシュタポに手渡される。かれらはゲシュタポに連行され、そのまま別々に取り調べを受ける。妹の取り調べにあたったゲシュタポの捜査官は、言葉の力によって彼女の供述を引き出そうとする。拷問とか脅迫はない。あくまでも言葉による追求だ。その意図は、抵抗組織の全容を解明しようとするものらしく、仲間の情報を提供するように迫る。もしゲシュタポに協力すれば、罪を見逃すというような申し出もなされる。しかし彼女はそれには乗らない。始めは自分の無関係を装って、相手を騙そうとするが、そのうち逃れられないと悟るや、罪を自分一人でかぶり、極力仲間に災いが及ばないように努めるのだ。

こうして四日間にわたり尋問が続く。その間に仲間の一人が逮捕されたことを知る。その仲間は三人の子を抱え、一番下の子は生まれたばかりとあって、彼に同情したゾフィーは、なんとかかれが無罪になるようにと祈る。しかしその祈りはむなしく、兄妹と仲間の三人がゲシュタポによって起訴され、人民法廷にかけられるのである。

人民法廷という名前から、社会主義国家のイメージがわくが、実際ナチスは国家社会主義を標榜していたわけだ。その法廷には一般市民も傍聴という形ながら参加していて、審理の行方を見守る。審理は、裁判官が一人で進行するというもので、検察官も弁護士も何も発言しない。そんななかで裁判官の一方的な追及がなされ、三人には死刑が言い渡される。死刑判決が出ても、執行には最低99日の余裕があると聞かされていたゾフィーだったが、その日のうちに刑務所付きの牧師が現れて、最後の手紙を書くようにと促される。思いがけない展開にゾフィーは驚くが、兄及び仲間と最後のひと時を共にした後で、断頭台へと向かうのだ。この映画を見て、かつてのドイツも、フランスなみのギロチンを用いていたことを知った。

この映画を通じては、ほかにもナチス時代の司法のあり方が伝わって来る。人民法廷のことは意外だったが、裁判が一審制で上告の機会がなく、しかも裁判官が検察官を兼ね、弁護士に何も発言させないなど、今日の司法の常識からかなり逸脱していることがわかるが、ナチス時代というのは、そういうものだったのだと思わされる。ナチスは、ユダヤ人を迫害しただけではなく、自分に歯向かう国民に対しても仮借なく臨んだわけだ。

なお、この映画の主人公たちは、戦後反ナチス抵抗運動の英雄として、一躍祭り上げられることになった。ドイツでは彼らを記念するモニュメントが、国のあちこちで見られるそうである。






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