比論法と日本人の思考:折口信夫の思想

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折口信夫は「古代人の思考の基礎」という論考の中で、古代日本人の思考法の特徴について触れている。折口によれば、古代日本人の思考は、ある種の循環論法に従っていたという。それを折口は逆推理とか比論法とか呼んでいるが、これは西洋的な因果的思考とは非常に違ったものだ。今でこそ日本人は、西洋的な考え方になれてしまったが、その発想の根底には、この古代的な論理のかけらがいまでも残っていると考えているようである。

折口は、この循環論法の例を、記紀神話のいざなぎ・いざなみの柱巡りを引用しながら、説明している。

「結婚する為に、家を建てるのは、いざなぎ・いざなみ二神の故事によって、柱を廻るのに、倣うたのである。特に、新夫妻の別居を造る、と言ふ意味ではない。此が逆に新居を建てると、新しい夫婦を造って、住はせなくては、家を建てた、確実な証拠にはならない、と言ふ考へを導いて来る。夫婦になるために家を建て、家を建てるためには夫婦を造らなければならない、と言ふ変な論理である。日本では、逆推理・比論法を平気でやってゐたのである。をかしいながら、理屈が立っている」

「をかしい」と我々今日の日本人が感じるのは、西洋の論理になれたためだからと折口は言う。その西洋の論旨を折口は因明的の考え方と言っている。因果関係を重んじる考え方である。それは徹底的に論理の整合性を重んじる。そうした因果的な思考にあっては、比論法とか逆推理とか循環論法といったものは、非論理的として退けられる。これは石を小さな岩と説明する一方、岩を大きな石と説明する類で、何も説明したことにはならない。ところが、古代の日本人は、その説明で納得していた。何故か。古代の日本人は、論理よりも感情を重んじたからだ、と折口は言うのである。

こんなわけで、もし外国の論理学が入ってこなかったら、日本には別の論理学が成立していたかもしれない、と折口は言う。この外国という言葉には、支那や天竺も含まれる。これら支那風と天竺風の論理学が日本古来の論理を訂正してきたうえに、西洋風の論理がそれに重なって、日本人は、表面は論理的な思考をするようになった。しかし、ときたまは、古代的な循環論法にはまることもある。それは、ある意味仕方のないこと、と言うより、日本人の本性に根差したことなのだと折口は言いたいようである。

これは折口自身の指摘ではないが、今日でも循環論法を公の舞台で目撃することがある。たとえば、公共政策の場面で。日銀の某総裁などはその典型といってよい。某総裁は、日本がデフレに苦しんでいるのは、インフレになっていないからだという理屈で、インフレを追求したことで知られるが、その根拠と言えば、インフレは好景気に付随して起こるものなので、人工的にインフレを興せば好景気になり、したがってデフレの苦しみから脱却できるというものだった。これは、典型的な循環論法であり、外国の論理を以てしては正当化できない判断である。ところがほとんどの日本人は、その論理をあやしいとは思わなかった。ということは、今日の日本人にも、古代日本人と同じような比論法の考え方が根強く残っているからだ、と言えそうである。

折口はこの比論法を、無条件で認めているわけではないが、かといって外国風の論理で以てなにもかも説明しようとすることにも否定的である。その理由は、合理を重んじるあまり、理屈に合わないものを無理に理屈に合わせようとする結果、日本本来のことがらが歪曲して伝えられることだとする。日本古来の事柄のなかには、理屈で説明できないものも多々あるのであって、それは多くの場合、感情で受け入れるべき筋合いのものである。そういうものを無理に理屈に合わせようとするから、その本来の姿が歪曲されて、間違った形で伝えられてしまう。日本の歴史のなかには、こうした間違いが非常に多いのであって、その結果我々今日の日本人は、日本本来の姿を見誤るということにもなる。それを我々は戒めねばならぬ。そう折口は主張するのである。






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