松に鷹図:狩野探幽

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狩野探幽は、光信の弟孝信の長男である。光信の嫡子貞信が死ぬと、その後継に自分の末弟安信を当て、自分自身は江戸に赴いて鍛冶橋狩野の基礎を築いた。以後狩野家は、京都と江戸に分流するようになり、江戸の狩野は探幽を中心にしてあらたな発展を見せるようになる。

探幽は非常に早熟で、二十歳頃から歴史に残るような作品を手掛けている。二十二歳の年には大阪城本丸御殿の障屏画を手掛け、二十五歳の時には二条城二の丸御殿の修築に伴う障壁画を手掛けている。

二条城二の丸御殿の障壁画は、大広間上段の間、二の間、三の間、四の間の諸室に施され、いずれも松を主題とする図柄からなっている。上の写真は四の間の障壁画である。

壁いっぱいに巨大な松と、そこに止まる鷹を描いている。前時代のスケールの大きさを引き継いだ画風といってよい。







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