日本の刑事司法はかわるか?:ゴーンの保釈

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日産元会長カルロス・ゴーンが、逮捕されて以来108日ぶりに保釈された。これは日本の刑事司法の歴史上きわめて異例のことだ。日本の刑事司法では、逮捕された場合には、自分の犯罪を自白しない限り、保釈してもらえないと言う「伝統」があった。それが国の内外で「人質司法」と批判されてきたわけだが、その強固な伝統が崩されたわけだ。これをどう受け取るかは、人それぞれだろうが、筆者は日本の刑事司法のあり方にとって、非常にいいことだと思っている。

人質司法は、冤罪の温床になってきたし、それ以前に被告の人権を著しく軽視している。その一方で、検察の言い分がまかり通ってきたわけで、日本の刑事司法は、どちらかというと、国民の権利よりも権力の威信を優先してきた歴史がある。その歴史的な伝統は、国内からの声だけではなかなか崩せないものだったが、事案が国際的な脚光を浴びるようになって、ようやく変化に向けて動き出したとの感を受ける。

今回の事案は、被告が国際的な有名人だったこともあり、世界の耳目を集めた。そのいわば外圧が、今回の保釈をもたらしたのだろう。外圧とはいえ、日本の刑事司法が変化に向けて動き出したことは間違いない。多くの法律家も、これが今後の前例になるだろうと言っている。そうだとすれば、日本人を対象にしても、同じように適用されるわけで、その分、冤罪の可能性が低くなり、被告の人権も守られるようになる。

刑事司法と批判されながら、これまで司法当局がなかなか改めようとしなかったのは、刑事司法のあり方は国によって異なっても問題ではないという理屈からだった。たしかに他の国の制度を無条件で受け入れることはないが、しかしそれが冤罪の増大につながり、国民の人権を侵害するものだとしたら、話は別だ。どんな理由であっても、冤罪や人権侵害を正当化できない。

今回の事件についてはいろいろな立場からの意見表明があった。その中には、日本の国益とか面子とかをからめて論じるものもあるが、筆者はそういう議論には立ち入らない。あくまで、刑事司法の望ましいあり方論から、この問題を見たいと思う。そうした立場からは、今回の事態は日本の刑事司法の改革に向けての望ましい一歩だと思っている。

日本の刑事司法にはもう一つ、改革しなければならないことがある。検察側による上訴権だ。刑事司法については、第一審で無罪判決が出た場合、ほとんどの先進国では検察側の控訴権を制限している。英米法では、陪審裁判による決定を尊重して、無罪となった場合には検察は控訴できない。またフランス始め大陸系の刑事司法では、参審制がとられ、参審員が決定した事実認定については控訴できないという定めになっている。検察側が控訴できるのは、事実認定についてではなく、法律問題と量刑についてだけで、検察の控訴は事実上できないことになっている。

これらに対して日本だけが、検察側が自由に控訴できる制度になっている。これには、裁判員裁判が導入される前には一定の意義が認められた。しかし裁判員裁判が導入されてからは、欧米の刑事司法との差異はほとんどなくなってきたわけで、日本だけが検察側に自由な控訴権を認める理由がなくなっている。第一、権力が国民を相手に裁判を起こしながら、それに敗れたのであるから、あっさりと負けを認めるべきなのである。それを、検察側に敗者復活の機会を与えるというのは、あまりにも検察への依怙贔屓と言うべきある。





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