死のすすめ:公立福生病院での透析治療中止

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公立福生病院で、人工透析患者に対して、医師が人口透析にかかる医療方針の相談のなかで、透析中止の選択肢を示し、それに応じた患者が一週間後に死亡したということが明らかになった。この患者は、透析中止についての合意を文書の形に示しており、一応患者の意思を尊重してのことだったと病院側では主張しているが、その患者は、死ぬ直前に透析をまた受けたいとも言っていたらしく、果たして病院側の対応に問題がなかったのかどうか、疑問を呼んでいる。その疑問に応える形で、東京都が調査に入ったほか、透析学会も立ち入り調査をする意思を表明している。

この病院は、この患者以外にも、20人にのぼる患者に対して同様の選択肢を示し、うち何人かはそれに応じ、死んだ例もあるという。つまりこの病院は、透析治療の中止という医療方針を、かなり組織的に行っていたということのようだ。この問題が報道されたことに対して、病院としては手続きに瑕疵はなかったと強調しているが。手続きの瑕疵を認めれば病院として死活問題に発展するので、そこは譲れないと考えたのだろう。

透析患者に対して透析を中止することは、かなり高い確率で速やかな死につながることを考えれば、それを勧めるということは、死ぬことを勧めることと同じである。これは非常に重大な選択なので、透析学会として一定の基準を設け、その基準に該当した場合だけ、認めるということにしている。その場合、ポイントになるのは、透析による苦痛に耐えられない患者から、透析をやめてほしいという強い申し出がなされ、しかも他に苦痛の少ない治療方法がない場合に限られているようである。

今回の場合には、一応患者の合意はあったにせよ、患者からの積極的な申し出というよりは、病院側からのガイダンスによるものという印象が強く、しかも、伝えられるところによれば、腹膜を通じた透析など、ほかに代替手段があったとも言われる。そういう事情を総合的に勘案すれば、今回の病院の対応には、問題があったと言わざるを得ないようである。

今回のケースは、主に透析をめぐる苦痛から解放されたいとの患者の意思をめぐって生じたものであるが、それ以外にも、末期症状の患者が尊厳死を選びたいという場合もある。そうした尊厳死は、いままでなかなか認められていなかったのが、ようやく認める方法で社会的な合意が進んで来た。「終の信託」という映画が、尊厳死を願った患者に協力した医師が嘱託殺人罪に問われるところを描いたのは、つい十年ほど前のことだ。それを思うと、尊厳死への社会的な対応は始まったばかりといえ、まだまだ慎重であるべきだろう。

今回のケースは、その慎重さに大分欠けているという印象を与える。まだ四十代の患者に対して、腹膜経由など他の治療法を十分に検討しないまま、死につながる透析中止を提案したというのは、死ぬことを勧めたといわれてもしょうがないだろう。

これがきっかけで尊厳死への対応がまた逆戻りしなければよいがと思う。小生は、尊厳死は人間の死に方の選択としてあってもよいと思っているので。





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