ペコロスの母に会いに行く:森崎東

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2013年の映画「ペコロスの母に会いに行く」は、同名の連載漫画を映画化したものである。ペコロスというのは小さな玉ねぎのことだが、そのペコロスのような形の頭の男が、認知症になった母親を世話する、というか互いに世話しあう関係を描いたものだ。大したストーリーはなく、母親の奇妙な行動に振り回される息子のどぎまぎした反応が見どころだ。

この息子は、原作では62歳になる漫画家で、自分自身の介護体験を語るということになっているらしいが、映画では冴えないサラリーマンで、ついにはクビになったということになっている。頭が禿げあがっていて、先端がとんがって見えるので、ペコロスというあだ名をつけられたということになっているが、まわりでは彼のことをペコロスとは呼ばない。一番肝心な母親はかれを雄一と呼んでいる。雄一とは原作者の名前だ。その雄一を母親はたびたび忘れるが、禿頭を見せると思い出す。母親は息子の禿げをよく覚えているのだ。

その母親を、ペコロスは自分の息子ともども自宅で介護していたが、そのうち負担に耐え切れなくなって、老人施設に預ける。しかし預けっぱなしにはせずに、頻繁に会いに行く。失業した彼には、時間は十分にあるのだ。かくして頻繁に老人施設に足を運び、母親と会う日々のなかで、さまざまなことが起る。そのさまざまなことがコメディタッチで描かれる。

母親は、認知症が進むにつれて、だんだんと現実世界から遊離していく一方、昔の記憶がよみがえることが多く、その記憶の世界を第二の現実として、新しい生き方を始めたように見える。そんな母親を見て息子のペコロスは、昔のことを思い出して幸せな気持ちになれるのなら、ボケるのも悪いことばかりではないと思ったりする。

母親の思い出は、楽しいことばかりではない。つらいことも多い。もっともつらかったのは、親友だった少女が赤線に売り飛ばされ、訪ねて行っても憚って避けられたこととか、幼い妹が原爆症で死んだことだった。そんなつらいことを思い出すと、母親は涙をこぼして泣くのだ。その母親の泣いている表情を見ると、同じように母親が認知症になった息子として、小生も他人ごとではなく、もらい泣きをする始末なのだった。

映画の舞台は長崎だ。その長崎のランタン祭に、息子が母親を連れ出す。ところがふとした油断から母親を見失う。息子と手分けして探すうちに、眼鏡橋の欄干に持たれているところを見つける。その時の母親は、亡くなった夫や死んだ妹とともに、自分自身は若い頃の姿となって、賑やかな祭りに見入っていたのだった。そんな母親の姿をカメラに収めると、映っていたのは無論、年老いた現実の母親だったのである。

小生のようにもらい泣きをしないまでも、多くの観客はこの映画を見て、いろいろ考えさせられるところがあったと思う。認知症の親族を抱えて奮闘する人々のたいへんさが、押しつけがましくなく淡々と描かれているところがよい。母親を演じた赤木春恵は、これが生涯で最初で最後の映画出演だそうだ。また息子のペコロスを演じた岩松了は、頭頂部を綺麗に沿って玉ねぎ型の禿頭を披露していた。剃り跡が生々しく見えるだけに、かれの努力には頭がさがるところだ。






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