ライフ・イズ・ミラクル:エミール・クストリッツァ

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エミール・クストリッツァの2004年の映画「ライフ・イズ・ミラクル」は、「アンダーグラウンド」と「黒猫・白猫」を足して二で割ったような作品である。「アンダーグラウンド」同様ボスニア内戦をテーマにしているが、「アンダーグラウンド」ほどシリアスではなく、「黒猫・白猫」のような楽天性を有している。内戦という悲劇的状況を描きながら、喜劇的な雰囲気を漂わせているのである。

ボスニアに住むセルビア人一家が主人公だ。かれらはもともとベオグラードに住んでいたが、ボスニアの田舎町に鉄道建設に従事する目的でやってくる。父親のルカはその事業に一生を捧げる気持ちでいるが、妻のヤドランカは田舎暮らしが不満だ。息子はサッカーが大好きで、ベオグラードのクラブからスカウトされることを夢見ている。そんな彼らに内戦の影がさしてくる。ルカは内戦の可能性を信じていなかったが、可能性が現実となって迫って来ると、いやおうなく戦争の現実を思い知らされる。

そんななかで息子のミロシュは徴兵され、ムスリム側の捕虜になってしまう。妻のヤドランカは、街にきたハンガリー人(ジプシーだろう)の色男にそそのかされて駆け落ちしてしまう。この女は、徹底して尻軽なのだ。

ひとりぼっちになってしまったルカのところに、ムスリムの娘が届けられる。この娘を捕虜にして、ミロシュとの捕虜交換しようとの友人の配慮からだ。

ルカは、この娘を息子と捕虜交換するというアイデアに感心するが、彼女を自分の家に軟禁しているうち、次第に彼女に恋心を抱くようになる。妻に逃げられてひとりでベッドを守るのに耐えられなくなったのだ。娘のほうもルカを愛するようになる。この二人は父子ほど年が離れているのだが、二人はそれを障害とはしない。愛は年齢の壁をたやすく乗り越えるというわけだ。

そんな二人に戦争がいやおうなく迫って来る。そこでルカは、二人でオーストラリアまで逃げようと提案する。オーストラリアでなら、二人で平和な暮らしができるはずだ。しかし、オーストラリアに向かって逃げる途中、ムスリムに見つかって、娘が足に銃弾を浴びる。娘がドナウ川に向って尻を突き出し、小便を垂れたのが冒涜的だという理由からである。

娘は瀕死の状態に陥るが、なんとか一命をとりとめる。その状態でついに捕虜交換の儀式が行われる事態となる。ルカは娘と別れるのがつらかったが、いまとなってはどうすることもできず、娘と切り離されてしまう。そのかわりに息子のミロシュが返ってきたわけだが、ルカにはそれがあまりうれしくない。これに加えて、駆け落ちしていた妻のヤドランカも戻ってくる。これはいっそううれしくない。そんなわけで、生きる望みを失ったルカは、鉄道線路に横たわって、列車に轢かれようとするが、どういうわけか、それまで何度も出て来た強情なロバが手前の線路上に立ち塞がって、身をもってルカを守ってくれるのである。ロバに助けられたルカは、なんとか生きる気力を取り戻すだろう。

この映画のミソは、セルビア人の男とムスリムの女とが、民族同士互いに戦いあうという状況のもとで、愛し合うということだ。クストリッツァの両親も、セルビア人の男とムスリムの女とが結婚したのだった。だからクストリッツァはこの映画を通じて、かつて同じ国家を構成した民族が、互いに憎みあうことの不条理を告発したといえるのではないか。尤も、セルビア人と言いムスリムと言い、生物学的には同じ民族なのである。その同じ民族が、宗教の相違を理由として互いに敵対するのは、決してほめられたことではない。そうクストリッツァはこの映画を通じて呼びかけているのだろう。






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