大江健三郎とダンテ:懐かしい年への手紙

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この小説の中で大江健三郎は、自身のダンテへのこだわりを、主にギー兄さんを通じて表現している。ギー兄さんは、ダンテの「神曲」を読み続け、ほとんど暗記するほどであって、人生の節目節目に「神曲」の一節を思い出しては、それを生きる指針としている。それほど「神曲」には、今の時代の、しかも日本人という異教徒にとっても、心を励まし叡智をさずけてくれるものがある。そのように大江は、ギー兄さんを通じて、読者に呼びかけているようである。

ダンテの「神曲」はまず、世界解釈の支点のようなものとしてギー兄さんによって提示される。「神曲」は、地獄めぐりから始まって、煉獄を経て天堂にいたる、魂の遍歴を歌ったものだが、そこには宇宙についての見方が反映している。もとより天動説が支配していた時代の宇宙観であるから、いまの感覚からはずれているところがあるが、しかし、宇宙についての一つの見方として、人間の叡智が込められているには違いない。

その宇宙とは、ダンテによれば、生きた人間たちの世界である現世の周囲に、地獄と煉獄とがあり、また、現世のはるか上のほうに天堂が広がっている。その天堂は、惑星からなる惑星天、恒星からかる恒星天という具合に広がっており、恒星天のはるか彼方に天国があると考えられていた。ダンテとヴィリギリウスは、まず現世から地獄へと降りてゆき、地獄の底についたところで、煉獄の山へと昇ってゆき、煉獄の山の頂から天堂をめざすという具合になっていた。その遍歴の歩みを、ギー兄さんは、現実の地理に即して解釈しようとする。

ギー兄さんがまず考えたのは、地獄へ下りてゆくのは左回り、煉獄の山に登っていくのは右回りではないかということだった。なぜそんなことを考えたかというと、地獄や煉獄について正しく考えるためには、その地理的なイメージを明確にしなければならないからである。地理的なイメージが明確になって初めて、地獄や煉獄をありありとした形で思い描くことができる、そうギー兄さんは信じているのである。

ギー兄さんが、地獄へおりていくのは左回りと考えたのは、ダンテとヴィリギリウスが怪物ジェーリオンの背中に乗って、地獄の第八圏へと降下していく場面を描いた記述からだった。その記述には、右手に地獄の光景が見られたとあるので、ダンテたちは反時計回りに降りていたに違いないと、ギー兄さんは考えたのである。これに対して煉獄山へは時計回りにのぼっていく。時計回りは、現代イタリア語では右手という意味らしいから、そこからして煉獄は右回り、地獄は左回りと、ギー兄さんは推測したのである。

右回り、左回りの区別は、現実の天体の動きにも適用される。当時は、天動説だから、天体は地球を中心にして回転していると考えられたわけだし、その回転に大きな意味を人々は感じていた。そこで、この回転の様子を正しく理解するためには、われわれは自分自身が地球になったつもりで、地軸にそって寝そべり、天体の運行を観測する必要がある。その場合には、アリストテレスの天文学がよりどころとなるが、アリストテレスは、東が右で、西が左だと言っている。そのように観察できるためには、われわれは足を北に、頭を南に向けて寝そべらなければならない。そんなことをギー兄さんは考えるのである。

ところで、ブレイクが描いた「神曲」の挿絵では、煉獄を上っていく山道は、反時計回りに描かれている。つまり、ギー兄さんとは違ったふうにブレイクは解釈しているわけだ。ブレイクにも深い関心を抱いているギー兄さんとしては、当然その挿絵を見ているはずなのだが、なぜか、この不具合には言及していない。

以上は、宇宙観にかかわらせてのギー兄さんの「神曲」の読み方であるが、ギー兄さんはもっと身近で現実的な事態についても、「神曲」を導きの糸としていた。そのもっとも典型的なのは、安保闘争へのギー兄さんのかかわりである。安保闘争にギー兄さんがかかわることになったのは、自分自身の内的な衝動にもとづくものではなかった。たまたま中国旅行で不在中だった語り手に代わって、かれの妻であるオユーさんを助けたいという動機からだったのである。かれがなぜそんな動機を抱いたのか。その理由の一端が、「神曲」なのである。安保闘争のただなか大勢の市民がデモをする光景を見ると、ダンテが言及している巡礼たちの姿が二重写しになり、いてもたってもいられなくなった。ましてそのデモ隊のなかにオユーさんがいる可能性が高い。そうだとすれば、彼女の安全も気がかりである。右翼の暴力団によって、ひどい目にあわされるかもしれない。そう思って彼は、デモ隊の隊列の中に加わったのであった。

右翼の暴力団によってひどい目にあわされたのは、オユーさんではなく、ギー兄さん自身だった。かれは頭をカチ割られて瀕死の重傷を負わされるのだ。その瀕死の状態のなかでもギー兄さんは、「神曲」のことを忘れることはなかった。かれは、「本当に死ぬのであれば、こう憤激したままではまずい」と反省し、「いまある怒りを無意味なものに感じさせる個所を、ダンテから思い出そう」としたのであった。ところがあいにくその個所を思い出すことは出来ずに、かえって憤激を煽るような個所が思い出されたのである。

このように、「神曲」はギー兄さんによって色々な読み方をされ、語り手もそれに影響されたのであったが、かれらにとって最も本質的な読み方は、「神曲」を死と再生、回心の物語として読むことだった。それについてギー兄さんは、語り手の僕に向って次のように言う。

「地獄をめぐり・煉獄から天国に到る旅が、巡礼としてのダンテの自己にとって、回心がついに成功する旅。つまりは死と再生を経ての、回心の達成というわけだ。Kちゃんよ、本当に人の心をうつ私の遍歴を小説に描きうるとするならば、それはきみの自己の死と再生の物語でなくてはならないのじゃないか? しかしひとりの作家がそれを書きうるのは、生涯ただ一度のことにちがいない。それよりほかは、みな途中で山登りを断念する物語になるのじゃないか?」

こう言われて語り手は、ギー兄さんその人のうちに、死と再生とが実現されたのではないかと感じ、そのギー兄さんの、死と再生を経ての回心の現場に自分も立ち会っているといった幻想を抱き、その幻想があたかも現実の体験のように迫って来るのを感じながら、この物語全体を閉めくくることになる。語り手は、四国の山の中の、ギー兄さんが作った人造湖の島の上で、ギー兄さんとともに横たわり、また家族に囲まれて、「神曲」の一節を思い出すのだが、その一節こそは、回心をとげたダンテを祝福する言葉だったのである。

「何ぞかくとどまるや。走りて山にゆきて汚れを去れ、さらずば神汝らのもとにあらはれたまはじ」

このように、この小説のなかでのダンテの扱い方には、かなり宗教的な色彩を感じさせるところもある。大江自身はキリスト者ではないといっており、自分自身が神によって救われる気持ちはないらしいが、作品のなかでは、宗教を人間の救済の可能性として描いている。そのように伝わって来る。






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