ハーフェズ ペルシャの詩:アボルファズル:ジャリリ

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ハーフェズとは、イランでコーランを暗唱できるものに授けられる尊称ということらしい。アボルファズル:ジャリリの2007年の映画「ハーフェズ ペルシャの詩」は、そのハーフェズをモチーフにした作品だ。前作「ダンス・オブ・ダスト」ほどではないが、言葉を最小限に抑えているので、筋の展開を追うのに苦労するところがあるが、一人のハーフェズの青年の試練を描いたものだということは伝わって来る。

シャムセディンという名の青年は、神を恐れぬところがあるとして厳罰を科されそうになるが、イスラム教のある尊師に身許を保障されて修行することとなる。その結果コーランを暗唱してハーフェズの尊称を授けられる。そんな彼に、別の宗派の尊師モフティの娘の家庭教師をする仕事が与えられる。この娘というのは、イラン人のモフティとチベット人の妻の間に生まれた女の子で、名をナバートという。そのナバートを日本人の麻生久美子が演じている。

ハーフェズは、ナバートにコーランを教える。ところがナバートは、コーランよりも、ハーフェズの書いた詩を暗唱する。どうやら彼女はハーフェズが好きなようなのだ。このことを知ったモフティは、ハーフェズがナバートを誘惑したと思い、ハーフェズを厳罰に処す一方、娘を他の男と結婚させる。その男の名もシャムセディンというのだ。

ハーフェズには試練が与えられる。嘆願の鏡というものを、七つの部落の処女たちに磨いてもらえというのだ。そうすることで、ナバートが忘れられるというのだが、もともとその嘆願の鏡というのは、乙女の愛を得ることを目的に使われるのである。ともあれハーフェズは、その鏡を持ってさまざまな部落を訪ね、もしそこに処女がいれば、鏡をみがいてくれるように嘆願する。ある部落では、処女の教師に鏡を磨いてくれるように嘆願し、それに教師も応えて、他日磨きましょうと約束するのだが、父親の喪に服するために姿を消してしまう。そして彼女が戻って来た時には、既に処女ではなかった。他の男の妻になってしまったのだ。

この教師が不在の時に、もう一人のシャムセディンが村にやって来て、彼女にかわって教師をつとめる。彼も嘆願の鏡を持っているのだが、その目的が何なのかはわからない。

ハーフェズがある部落を訪ねた時には、そこにいる処女は60を越した老婆だけだった。だがハーフェズはこの老婆の望みに応えて結婚してやるのだ。その結婚式の席上、老婆は、おそらく感激のあまりだろう、ショック死してしまうのだ。

こんな具合にこの映画は、いささかとりとめのないところがあって、いったい何を訴えたいのか、観客としては面食らうところがある。しかし、何となく最後まで見てしまうのは、映像に独特の魅力があるせいだろう。

それにしても、イランという国は、生活の隅々までコーランが浸透しているということを感じさせられる。ハーフェズが度々鞭うたれるのはコーランの戒律に反したとみなされるからだし、また、子供たちの教育は専らコーランを暗唱させることに費やされる。もう一人のシャムセディンが、子供たちにコーランを暗唱させているシーンが、この映画のもっとも印象深い部分だ。

日本人の麻生久美子は、日本人として出ているわけではないので、彼女のことを知らない人がこの映画を見たら、イラン人らしくもなく、また西蔵人らしくもなく、不思議な感じの人だと受け取られるに違いない。それほど彼女の演技には、日本人らしさが抜け落ちている。これも日本の国際化を物語る一コマだろう。





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