あいまいな日本の私:大江健三郎のノーベル賞記念講演

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大江健三郎はノーベル賞受賞の記念講演を、少年時代に耽読した二冊の本への言及から始める。一冊は「ハックルベリー・フィンの冒険」、もう一冊は「ニルスの不思議な旅」である。少年の大江健三郎は、これらの作品を通じて、自分が世界文学につながっているということを次第に自覚していったという。だから、日本人としては、川端康成に続いて二人目の受賞者になったとはいえ、自分は川端よりも、71年前にこの賞を受賞したウィリアム・バトラー・イェイツのほうに魂の親近を感じた、と大江は言うのだ。ということは、日本人としてよりも人類の一員としてのアイデンティティを感じているということだろう。

この記念公演のタイトルを大江は「あいまいな日本の私」としたが、それが川端のノーベル賞受賞記念講演「美しい日本の私」を意識していることは明らかだ。大江自身それを認めている。この言葉で川端は、日本という国のたぐいまれな特殊性を主張し、自分もその一員であることをことさらに強調することで、他国の人びととの間のコミュミケーションの回路をみずから断っているところがある。自分はそういう姿勢は取りたくない。自分としては、自分の日本人としての特殊性にこだわるよりは、人類の一員として、コスモポリタンで開かれた姿勢を取りたい、そう言っているようである。

「あいまいな」という言葉には、両義的なという意味もあると大江は言う。たしかに日本には、川端が誇るような美しい伝統もあるが、しかし忌わしい過去もある。日本は先の大戦では、他国に対して侵略者として振る舞い、その挙句に反撃を食い、広島・長崎の災厄を招き寄せてしまった。そういう忌わしい部分についても、日本人は自覚的であるべきだ。だが、川端は、忌わしい部分には目をつぶり、日本という国とその一員である自分自身とを、一面的に見ている。そうではないだろう。もっと多面的に見るべきだろう。その際の視点として、日本を両義的なものとしてとらえる視線が必要だ。「あいまいな日本の私」という言葉には、そうした大江の思いが込められているようである。

大江は、学生時代の恩師渡辺一夫に言及し、渡辺がラブレーの翻訳や研究を通じて、いかに世界文学の精神に通じていたかを語る。その精神はコスモポリタンであり、開かれたものである。自分はそうした精神を持ったユマニストとしての渡辺の薫陶を受けた弟子として、せせこましい愛国精神に閉じこもるのではなく、コスモポリタンとして振る舞いたい。そう大江は言って、自分を世界文学につなげた形で自己認識しているわけである。

川端の世界に向って自閉的な姿勢を、大江は関連する別の講演「回路を閉じた日本人でなく」の中でも批判している。川端はノーベル賞記念公演のなかで、美しい日本を象徴するものとして明恵上人の禅体験をあげ、その歌を紹介しているが、それは日本人にも理解のむつかしいものであり、ましてや外国人にはほとんど理解不能だろう。そういうものを自分の意見として表明するのは、姿勢としてはありうるかもしれないが、自分からコミュニケーションの回路を閉じるものではないか。そう大江は批判したうえで、自分としては世界中の人びととのコミュニケーションを大事にしたいと言っている。

その絡みで大江は、別の講演「世界文学は日本文学たりうるか」の中で、日本の現代文学には三つの流れがあるといっている。ひとつはナショナリスティックな(日本的なものに徹底的にこだわる)流れで、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫らが含まれる。その対極に(世界の文学から学んだ)コスモポリタンの流れがあって、大岡昇平、安部公房のほか自分自身も含まれる。そのほかにもう一つ、村上春樹と吉本バナナによって代表されるものがあって、自分はこれを、「世界全体のサブカルチュアがひとつになった時代の、まことにティピカルな作家たちだと」思っているという。

大江が問題だと思うのは、第一のタイプがそれなりに世界から認められているのに対して、自分を含めた第二のタイプの文学が、忘れられていく傾向にあることだ。このタイプの文学は進んで世界の文学から学ぼうとしたにかかわらず、かえって世界からは評価されない。ましてや、自分の小説などは非常に読者が少ない。それに比べて、村上らのラインは、たった二人で、我々第二のラインの二百倍の売り上げを記録している。こんな様相を見るにつけ、自分としては悲観的にならざるをえない。そんな意味のことを大江は言って、嘆いてみせるのである。その大江の嘆きは、「私たちは、世界から最も豊かに受け取ったけれども、世界から最も早く忘れ去られてゆく者らではないか?」という自嘲気味な言葉によく現われている。






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