文科大臣のこの国への貢献:迷走する大学入試改革

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大学入試問題が迷走している。先日は入試改革の二本柱といわれた英語の民間試験が中止になったし、続いてもう一本の柱とされた記述式問題の導入も延期になった。その理由は納得できるもので、中止あるいは延期の判断は正しいといえる。もしそのまま強引に実施されていたら、大きな混乱と将来への禍根を残すところだった。

この問題が起きたきっかけは現職の文科大臣のいわゆる「身の丈」発言だった。この発言がきっかけになって、制度に対する疑問が大きな声となって沸き上がり、その結果問題のある改革案が没になったわけだ。没になったことはこの国にとってよかったというのであれば、某文科大臣は彼なりにこの国に貢献したことになる。その点は褒めてやらねばなるまい。

なぜこんなことになってしまったか。その事情を徹底的に調べたうえで、それなりの対策を取らねばなるまい。なまはんかな見直しでは済まないと思う。事情通ならぬ身にははっきりとはわからぬが、この問題をめぐっては、族議員と呼ばれる一部の政治家の意向に、文科省の役人が振り回された気配が濃厚である。つまり不純な政治的意図に、行政が屈したという構図が見え隠れする。

一国の教育の根幹が、そうした不純な動機に左右されていいわけがない。ここはきっぱりと、そういう動機を排除して、公明正大な議論をやり直してもらいたい。

今回の文科省の方針については、批判するものも無論いる。中教審の会長をつとめた前慶應学長などは、せっかくの(入試改革の)機会をつぶすことで、日本は「教育鎖国」の状態が続くといって強く批判している。彼によれば、受験機会に格差があるのは当然で、それをとやかく言うべきではない、ということらしい。今回の中止によって日本は「経済的にめぐまれない生徒だけが従来の教育をうけることになるだろう」と言うのだが、それがどういう意味なのか、小生などにはチンプンカンプンである。

大学入試については、共通試験を廃止して、各大学の自由にまかせるというのも一つの選択肢としてありうるだろう。昔はそれでやっていたのだし、そのことでどんな問題があったのか、いまだに検証されていない。おそらくフランスやドイツの共通試験を念頭に置いて作った制度なのだろうが、フランスやドイツは、共通試験と高校在学時の成績だけで入学を認めており、別途独自の選考をしてはいない。日本は共通試験と大学独自試験とを組み合わせており、無駄な部分が多いのではないか。今回問題となった英語の能力についての選考も、高校在学時の成績で十分見られるはずだ。なにも無理して共通選考の対象にする必要はないだろう。





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