ラ・グルヌイエール:ルノワールの世界

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1869年にルノワールは、金に困って、当時パリ北西部のルーヴシェンヌでつつましい年金生活を送っていた両親の家に転がり込んだ。その近隣のサン・ミシェルには、クロード・モネが住んでいて、二人は頻繁に往来するようになった。モネも、金がない点では、ルノワール以上だった。二人は金のないことを大いに嘆いたが、もっとも大きな嘆きの種は、キャンバスや絵具を買う金がないことだった。

しかし二人は、文無しにめげることはなかった。特にモネは陽気な性格で、よくルノワールを励ましてくれた。そのモネの励ましがなかったら、生来頑張り屋ではないルノワールは、筆をとることをやめていただろうと、後年友人への手紙のなかで回想している。

二人はよく一緒に絵を描きに出かけた。パリ北西部のセーヌ川沿いにあった海水浴場グルヌイエールへは、度々出かけて、まったく同じ角度からの構図の作品を描いた。その作品は二セットが残されているが、上の絵(ラ・グルヌイエール La Grenouillère)はそのうちの一点。これは、右端に遊覧船の後部を、中央部に浮桟橋に乗った人々を描いたもので、これと全く同じ構図の絵を、モネも描いている。

その二つを比較すると、モネのほうがより構成的で、構図が単純化されている。一方ルノワールのほうは、色彩の表現の仕方に遊びが感じられる。これらの絵は、構図と言い、モチーフと言い、伝統的な絵画のイメージからは逸脱している。当然のことのように、世間の評判は良くなかった。世間の評判を集めたのは、「アルジェの女」のような、古典的な雰囲気の作品だったのである。

(1869年 カンバスに油彩 66×81㎝ ストックホルム、国立美術館)






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