パイドン読解その二

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対話篇「パイドン」は、プレイウスの町にやってきたパイドンを、土地の人エケクラテスが訪問し、ソクラテスの最後の日について、かれがその日にどんなことを話し、どんな様子だったかを尋ねたことがきっかけで始まる。その問いかけに対してパイドンは、自分はソクラテスの最後の日に一緒に居合せたということを認めたうえで、自分が見聞したソクラテスの最後の様子について語るのである。その際に、その場に居合せていた者は、パイドンのほかに十名以上の名があげられる。プラトンは病気でいなかったといわれている。かれらは、普段から牢獄にソクラテスを訪ねては、一日中ともに話すのを日課にしていたが、デロス島から船が返って来たという話を聞くと、その翌日がソクラテスの処刑の日だとさとり、いつもより早い時間に示し合わせて、ソクラテスを訪ねたというのだった。

かれらがソクラテスの所へ行くと、いましがた鎖から解かれたソクラテスのそばに、妻のクサンティッペが子供を抱いて連れ添っていた。クサンティッペは、訪問客を見ると、大声をあげて泣き、女達がよく言うようなことを言った。「ああ、ソクラテス、いまが最後なのですね、この親しい方々があなたに話しかけ、あなたがこの方々に話しかけるのも」。するとソクラテスは、クリトンに向かって、彼女を誰かに連れ去ってもらいたいと願う。クリトンは自分の家のものに命じて、クサンティッペを家まで送らせたのであった。クサンティッペとしては、大勢の市民の手前、ソクラテスの妻としての礼儀を尽くしたということだろうが、人生最後の日をソクラテスは、もっと有意義なこと、つまり知を愛する行為に費やしたいと思ったのであろう。

その最後の日のソクラテスを見た印象をパイドンは、死にゆく身にかかわらず、死への恐れを感じさせず、それどころか快活な様子に見えたという。そんなソクラテスを見たパイドンも、奇妙な感情、すなわち喜びと苦しみの入り混じった、今までに経験したことのない感情に見舞われた。苦しみがソクラテスとの死別からくることはわかるが、喜びの方は、ソクラテスの快活さがパイドンに乗り移ったのであろう。ソクラテスがなぜ快活でありえたのか。その理由は、対話篇全体から明らかになるだろう。この対話篇を通じてソクラテスが明らかにしようとしたのは、魂の不死・不滅ということであり、不死・不滅な魂はもっとよい世界へ行って、そこでいまよりもっとすばらしい暮らしをできるとソクラテスは信じているので、快活でいられるというわけなのである。

ところでソクラテスは、「ソクラテスの弁明」のなかでは、死後のことについては不可知論的な態度をとっていた。死が虚無への没落なのか、それともよい神々のもとへの移住なのか、自分は知らないと言い、死をいたずらに怖れることは、知らないことを知っていると思い込むことだと言っていた。それに対して「パイドン」の中のソクラテスは、魂の不死・不滅を信じて疑わない。これはどういうことか。おそらく、「ソクラテスの弁明」におけるソクラテスの言葉のほうが、ソクラテス自身の思想を忠実にあらわしているのだと思う。それに対して「パイドン」のなかのソクラテスには、プラトン自身の思想が重ねられているのだろう。つまりプラトンは、「パイドン」においては、師ソクラテスのオリジナルな思想にこだわらず、プラトン自身の思想を、ソクラテスを通じて語っているということだ。その思想のなかには、想起説とかイデア論といったものもあるわけだ。

さてソクラテスは、足枷を外してもらったことを喜び、足枷につながれていた時にはずっと苦痛があったが、いまは快がやってきたと言う。そんなソクラテスに、まずケペスが声をかける。ケベスはシミアスとともにテーバイからやって来た人で、ピタゴラス派の思想を学んでいる。この対話編は、この二人とソクラテスとの間の対話のやりとりを中心にして展開していくのである。プラトンは、シケリア島に旅行してピタゴラス派の思想に接し、それがきっかけで、霊魂の不死・不滅とかイデア論のヒントを得たと思われる。そうした新たな思想を、ソクラテスを通じて語るにあたっては、当時アテナイに滞在していたピタゴラス派の学徒を登場させるのが望ましいと考えたのであろう。

ケベスがまず言った言葉は、ソクラテスは最近詩を書いているそうだが、いったいどういうわけでそんなことをしているのかという質問だった。かれの友人のエウエネスがそのことを聞きつけて、わけを知りたがっているというのだ。エウエネス自身は詩人であり、詩人でもないソクラテスが詩を書き始めたことに、ある種の対抗意識のようなものをもっているようなのである。それに対してソクラテスは、自分にはエウエネスに対抗しようという意図はない、自分が詩を書くようになったのは、夢のなかでそうするように言われたからだと答える。夢の中の命令は、「ソクラテスよ、文芸(ムーシケー)をつくりなし、それを業とせよ」というもので、自分はそのムーシケーに、いままで自分が従事してきた哲学も含まれると思ったのだが、よくよく考えると、やはり詩を書けと言う命令だと思い直して、下手ではあるが、つまりエウエネスに対抗できるようなものではないが、詩を書くようになった、そうソクラテスは言うのである。

ソクラテスはそう言ったうえで、エウエネスによろしく伝えてくれといい、「もしもかれに思慮があるならば、できるだけ早く僕の後を追うように」とも言ってくれと言う。この意味深長な言葉がきっかけとなって、魂の不死・不滅についての議論が始まるのである。

ソクラテス自身は、不死・不滅を信じているので、早くこの世を辞退してあの世に移行することは好ましいことだが、なかにはそうは考えずに、死ぬことはよくないと思っている人たちがいる。そういう人たちにとっては、自分の勧め、つまり早く後を追うようにとの、つまり早く死ねとの勧めは噴飯ものだろうが、そういう人たちを説得して、死は好ましいと信じさせることは骨の折れることだ。だが自分のように、今夜にも死ぬことを運命づけられている人間にとっては、死が好ましいのかそれとも忌わしいのか、それについて議論することは大いに意義がある。さいわい夕刻、つまり処刑の時間までには、多少の時間があることだから、その時間を使って、死後のことについて話し合おうじゃないか。そうソクラテスは言って、ケベスとかれの友人シミアスを主な話し相手としながら、魂の不死・不滅についての議論を進めていくのである。

こんな具合だから、この対話篇も、アイロネイアの精神に導かれたものとなっている。まず最初から、他人に向かって早く死ねということ自体が、皮肉の限りである。ソクラテスはそういう皮肉を言うことで、議論を一気に緊張状態にもっていき、その緊張感にあおられるようにして、議論を深めていくのである。そうしたアイロネイアは、対話篇を通じてずっと発せられ続ける。絶えまなく発せられるアイロネイアが、この対話篇を緊張に満ちたものにしているわけである。ソクラテスにとってディアレクティケー(対話)とは、アイロネイアに支えられたものなのである。







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