歴史認識:日本とドイツ

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いわゆる歴史認識をめぐって、日本はいまだに諸外国、特に韓国や中国との間で軋轢をひきおこしている。近年も従軍慰安婦問題や徴用工問題をめぐって歴史認識問題が蒸し返された。なぜそうなるのか。こういう問題をめぐっては、他国が日本を非難し、それに対して日本が反発するという構図が指摘できる。日本を非難する国は、日本は過去に犯した過ちを十分に反省していない、その結果誤った歴史認識にたって、無神経な行動を繰り返すと非難し、日本側は、日本は反省すべきことは十分に反省したのだから、これ以上反省する必要はないと言い、また、そもそも反省すべきことではないものを反省する必要はないと開き直ったりする。非難する側と批判される側とに、共通する認識がないことが、その原因だろう。

歴史認識問題については、日本は、アメリカを始め戦争に敗けた国と、中国や韓国など戦争に敗けたとは思っていない国とで、異なった対応をしてきた。アメリカに対しては、基本的には、戦争に敗けたことを率直に認め、敗戦国としての礼儀をつくしてきた。一方、中国に対しては、かならずしも戦争に敗けたことを認めなかったし、韓国に対しては、日本としてなんら反省する理由はないと言う気持ちを本音として抱いてきた。それでは、中国や韓国との間で、歴史認識を共有することはむつかしいだろう。

中国については、戦後すぐ内戦に突入し、共産党が政権を握ったあとは、国際社会から孤立して、日本との間で国交も開かれない状況が長く続いたから、戦後いち早く平和条約を締結するということにはならなかった。それゆえ、いわゆる戦後処理は先送りされたし、また、戦争責任について明確にする機会もなかった。1970年代に、日中和解の動きが進んだ際には、中国側から、日本の戦争責任を追及することを差し控える動きがあったために、日本の戦争責任を始めとする歴史認識問題はあいまいなままに棚上げされた。それが、日本の側に、歴史認識問題についての自覚を弱める働きをしたことは否めない。こういう問題は、当事国の間で積極的に追及する動きがないと、なかなか取り組まれないものだ。

韓国については、とりあえずは日本の植民地支配が問題となったが、日本側にはこれを反省する動きは全くなかったといってよい。初期の国交正常化交渉の中で、有名な久保田発言が飛び出したが、これは当時の日本人の常識を代弁したようなものだった。これは、日本による韓国の植民地支配が、韓国の発展にも貢献したというような趣旨だったが、そういう尊大な考えを、日本国民の大多数が共有していた。だから、この発言に韓国側が激しく反発した時には、日本のマスコミでさえ、韓国は大袈裟すぎると言って取り合わなかったものだ。そんなわけだから、日韓条約の締結に当たっては、過去の歴史認識に触れることはなかったし、植民地支配の合法性あるいは違法性に触れることもなかった。日韓両国は、あたかも過去に何事も起こらなかったような顔で、この条約に署名したのである。

日本がこういう態度をとった背景には、日本はたしかにアメリカには負けたが、中国には負けてはいない、だから中国に対して卑屈になる必要はないという認識が働いていたと思われる。また韓国に対しては、韓国人が自分自身の力で独立を勝ち取ったのではなく、日本がアメリカに負けたことの反射的な効果として、棚ぼた式に独立を与えられたという認識があった。だから、韓国に対しては、あたかも妾に逃げられたような気持ちを抱くことはあっても、過去に日本が犯した不正を謝罪するというような気持ちはいささかもなかった。

そういう気持ちがあったから、すくなくとも保守の自民党政権が、戦争に言及しながら、抽象的な形で戦争責任に言及することはあっても、侵略とか植民地支配という具体的な言葉を使って、自発的に韓国に謝罪したことはなかった。侵略とか植民地支配という言葉を使い、また従軍慰安婦などの問題に言及しながら、自発的に謝罪の言葉を述べたのは、非自民党政権の村山首相である。村山首相の謝罪の言葉は、韓国や中国の日本への信頼を高めたといわれるが、国内では、保守勢力を中心に強い批判を浴びた。その批判を、その後の自民党政権は受け継いでいるようで、韓国に対する謝罪は、もうこりごりだという雰囲気が露骨に伝わって来るのである。

ドイツの場合、歴史認識の問題は、ナチスと深くかかわることもあって、複雑な様相を呈している。ナチスの犯した暴力的な侵略行為と人間性を踏みにじったホロコーストの記憶があまりにも鮮明だったので、ドイツはこの問題を避けては、国際社会に席を占めるわけにはいかなかった。ドイツは、繰り返し自ら歴史問題に言及し、謝罪をしつづけることで、国際社会の信頼をつなぎ止めたのである。それでもポーランドなどは、いまだにドイツ人を人間として好きになれないと言っている。韓国人も、日本人を人間として好きになれないということはあるが、それはポーランド人のドイツ人に対する憎悪とは比べ物にならないのではないか。陽気なフランス人でさえ、ドイツ人には警戒心を抱いているといわれる。そういう情況であるから、ドイツ人は歴史問題をなかったことにはできないのである。

それでも、ドイツにも歴史修正主義者はいる。絶滅収容所での出来事は誇張されすぎている、あれはドイツの評判を落とすことを狙ったユダヤ人の陰謀だ、といったたぐいの言説が飛び交うこともある。さすがにドイツでは、そうした言説は非合法とされるが、それはナチの犯罪は、どんな理屈を用いても正当化されないという共通認識が国民の間で成立しているからであり、それはドイツ人が歴史認識問題を深刻に受け止めていることのあらわれだといえるのであろう。

それに対して日本の場合には、南京事件はでっちあげだとか、従軍慰安婦は実は売春婦であって、なんら同情するいわれはないと主張するものがいても、すくなくとも国内では、それが重大な問題となることはない。問題となるのは、外交問題に発展したり、そこまでいかなくとも、外国から強い否定反応が返ってきたりする場合だけだ。それは、歴史問題についての日本人の意識が、ドイツ人とは格別に違うことのあらわれである。

ドイツ人は、歴史問題を深刻に反省するばかりではなく、ナチスの犯罪者たちを、ドイツ人自身の手で裁いたこともある。アウシュヴィッツ裁判とか、マイダネク裁判と呼ばれるものがそれだが、そういう裁判を通じて、正しい歴史認識とはどういうことかということについて、ドイツ人自身が深く学んだ歴史もある。日本では、日本人が日本人を裁くというようなことはなかったし、また裁く必要を感じたこともなかった。それが日本人の歴史認識にも大きく影響したのだともいえるし、あるいは、日本人の歴史認識がそうした事態をもたらしたのだということもできよう。





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