
円山応挙は動植物の写生図を数多く残したが、これは「百蝶図」と題して、夥しい数の蝶を、同じ平面に並べたもの。個々の蝶をよく見ると、同じ時期に見られないものも含まれているから、厳密な写生ではないことがわかる。応挙は日頃描きためていた蝶の写生図を、ここに一同に集めて披露したのであろう。
この絵が厳密な写生ではないことは、個々の蝶の特徴が現実の姿とは異なっていることにもあらわれている。応挙は科学的な厳密さを犠牲にして、蝶の絵画的な美を追求したのである。
当時は隣国の清でも蝶の図柄がはやり、日本にも伝わってきた。応挙はそうした絵も視野にいれながらこの図を描いたのだと思われる。
(絹本着色 104.5×143.8㎝ 水戸、徳川博物館)
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