暴力に逆らって書く:大江健三郎往復書簡

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「暴力に逆らって書く」は、大江健三郎の往復書簡を集めたもの。1995年1月から2002年10月にかけて、11人の海外の知識人との間でかわされた往復書簡である。大江は1994年にノーベル賞を受賞して、世界的な名声を得ていた。その名声をもとに、朝日新聞が高名な知識人との往復書簡を計画したということらしい。それらの書簡は朝日の夕刊紙上で公開された。

往復書簡の相手は、ドイツ人の小説家ギュンター・グラスを始めとして、日系アメリカ人で日本研究家のテツオ・ナジタとか、パレスチナ系アメリカ人としてパレスチナ人の代弁者を自認するエドワード・サイードなど多彩である。それらを「暴力に逆らって書く」という問題意識が貫いているということらしいが、その暴力というのは、国家権力であったり、大衆の偏見であったりするようだ。大江自身、日本政府の権力に対して批判的だったわけだし、また日本人の全体主義的傾向を憂えていたわけだが、かれが往復書簡の相手に選んだ人々も、同じような傾向の人だったようだ。ようだ、というのは、小生自身かれらのことをあまり知っているとは言えないので、この往復書簡から推測する程度にとどまらざるをえないからだ。

まず、ギュンター・グラスであるが、大江はグラスとは以前から付き合いがあったようである。この往復書簡のなかでは、グラスが唯一人だけ、自分から大江に向けて手紙を書き始めている。おそらく朝日がそうさせたのだと思うが、それが成功したのは、二人の間に親しいいきさつがあったからだろう。グラスはその親しみの感情を手紙のなかで披露している。二人を強く結びつけたのは、年齢が近いということと、お互い祖国に対して両義的な感情を共有していたことに基づいていたようだ。グラスは大江に向って、「大江さん、私たちはますます年老いながら、いぜんとして焼跡の子どものままです」と呼びかけているのだ。

グラスが祖国に対して抱くマイナスの感情は、祖国が犯した全体主義的な罪のせいだろう。グラス自身もその罪に加担したというふうに意識していることが伝わって来る。日本もまた、全体主義国家として多くの罪を犯した、というふうにも考えている。それが大江について連帯感のようなものを感じさせるのだろう。ところがそういう罪の意識は、最近のドイツでは希薄になってきているとグラスはいう。ナチスの時代のことについて、「もはや人々は聞く耳を持ちません。これ見よがしに退屈なふりをし、几帳面にシニカルな態度を崩しません」といってグラスは嘆くのだ。その上で日本ではどうかと聞いたりもする。

それに対して大江は、日本もドイツも、再び全体主義に陥らないためには、グラスのいう「服従を拒否する徳、軍事秘密を漏洩する勇気、アンデルセンの童話『裸の王様』の中の子どもの持つ徳」が必要だと答え、また、国民「内部の裏切り者の勇気が必要です」という。もっとも、ドイツに比べれば、日本にはそうした裏切り者はほとんど出なかったし、今後も出て来るかどうかはわからない、といった大江の受け止め方も伝わってこないではない。ドイツでは、戦時中にナチスに逆らったために公道に吊るされたドイツ人が数多くいた。日本にはそういう人はほとんどいなかった。国家に逆らうなど、日本人にとっては考えられないことだ、というあきらめの気持のようなものを大江は持っているようである。

こんなわけで、ギュンター・グラスとの間の往復書簡は、かなり政治的な色彩を帯びている。それは二人の姿勢に共通するものがあるからだろう。その共通する姿勢とは、権力に対する批判的な姿勢である。その権力への批判的姿勢が、かれらを連帯させるというわけであろう。そうした批判のために、グラスはドイツ国内で孤立ぎみのようである。そうした立場からグラスは、大江はどうかとたずねている。「私は、大江さん、日本であなたの言に耳を傾ける人がいるのかどうか、教えていただきたい」と言って。

日本では、大江の声は掻き消されがちだが、しかし耳を傾ける人がいないわけではない。例えば小生だ。もっとも、小生が大江の言に耳を傾けたといって、どうということもないのだが。






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