回想川本輝夫:土本典昭

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川本輝夫は、自分自身水俣病患者として、患者の救済と問題解決に生涯をかけた活動家である。その活動は世界中に知られ、かれが死んだ時には、日本人としては珍しく、海外のメディアも報じたほどだ。土本典明の映画「回想川本輝夫」は、その川本の半生を描いたドキュメンタリー映画である。川本は、裁判を通じてではなく、会社への直接行動を通じて要求を勝ち取っていった。その交渉ぶりには相手を圧倒するような迫力があった。またその威力に相手も強く出て、官憲に弾圧されたこともあった。しかし、川本は多くの患者に東京でのデモンストレーションを実施させ、世間の注目を集めることで、自分らの要求を広く知らしめ、要求の実現につなげていった。映画はそうした川本の戦いぶりを描いているのだが、43分間という短かさもあって、川本の活動が丁寧に描かれているとはいえないような気もする。かえって川本の強引なやり方が目を引くほどだ。

映画は1999年に川本が死んだ時から始まる。まずかれの四十九日の法要の様子を映し出し、そこから三十年前に遡るのである。三十年前にも水俣病は認識されていたが、患者はまだ112人しか認定されていなかった。認定基準があまりにも厳格だったからだ。川本は、多くの患者が認定されるように、基準を緩和するように求めた、ということだろう。その運動の矛先を、環境官庁ではなく、窒素本社に向けた。映画は窒素本社で、社長を相手に談判する川本の姿を映し出す。そこがこの映画の大部分をなすので、観客は談合シーンばかり見せられ、その背景にある問題がどのようなものだったか、場面から知ることはないといってよい。

土本はこの映画を、川本が死んですぐに作り始め、その年のうちに完成させたということだが、材料に使ったのは、既成のテレビニュースとかドキュメンタリー映画だったそうだ。だからおのずと制約があって、上述のような欠点を克服できなかったのかもしれないが、それにしても水俣病というものについて、もうすこし丁寧に説明しておれば、もっと説得力が増したのではないか。ドキュメンタリー映画というものは、取り上げた事実を多面的に報道することに意義があるのだと思う。

川本は、過去を回想するなかで、裏切りや中傷に見舞われたと語っているが、それが映像として出て来ることはない。ただ、副題にある言葉、「井戸を掘った人」については、自分がまさにそれだといっている。その意味はよく伝わってきたように思う。

映画の中で一番印象的なのは、大勢の患者たちが都内をデモ行進するところだ。かれらの表情には怨念がこもっている。その怨念はおそらくかつての日本で多発した百姓一揆の怨念を引き継いでいるのではないか。そうした昔の日本人の気質が、川本の生きた時代にはまだ死なずに残っていたということだろう。いまの日本には、探しても見られなくなったものだ。





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