華の乱:深作欣二

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深作欣二の1988年の映画「華の乱」は、与謝野晶子の半生を描いた作品である。半生といってもカバーしているのは、晶子が鉄幹に恋をした明治三十四年から関東大震災直後の大正十三年までだから、実質二十三年間であり、彼女の生涯の一コマといってよいかもしれない。その期間に鉄幹との間に大勢の子供を作り、さまざまな人々と触れ合う。その中には一代の舞台女優松井須磨子や、アナーキストの大杉栄、そして有島武郎などがいる。とくに有島は、鉄幹に浮気されている間に、晶子が恋ごころを抱いた相手として描かれている。小生は晶子の生涯について詳しくないのだが、実際にこんなことがあったのだろうか。

この映画は、晶子と有島との淡い恋を中心にして展開するといってよい。その晶子を吉永小百合が演じ、有島を松田優策が演じている。どちらもはまり役といってよい。とくに吉永は、一世一代といってよいほど、気合の入った演技ぶりだ。彼女の魅力が遺憾なく発揮されており、代表作といえるのではないか。

その彼女が、有名な歌「晶子や物に狂ふらん」をしばしば口ずさむのだが、それは有島に狂ったというふうに、映画ではなっている。実際にはヨーロッパにいる鉄幹を追ってシベリアを鉄道で旅した時の歌なのである。だから鉄幹を慕う気持ちを歌ったものなのだが、それが映画では有島を慕う歌として扱われている。

松井須磨子は松坂慶子が演じているが、これも気合が入っている。気合が入りすぎていささか妖気を感じさせるほどである。須磨子といえばカチューシャの舞台が伝説になっているが、映画でもその舞台の場面が出て来る。例の歌にあわせて動き回る、その動きに歌ののろさが追い付かないといった印象だ。

大杉栄は有島の世話でヨーロッパに行ったことになっている。有島は実際大杉に渡航費用を出してやったようだ。映画では、渡航費用ではなく、活動費ということになっている。大杉と同居していた伊藤野枝は、小さな子どもを抱えたうえで、捨てた亭主と子どもが乞食になって放浪する姿を見て胸を痛める場面があったりする。じっさいそんなことがあったのかどうか。

有島は、晶子に一目惚れをしたが、それは彼女が死んだ妻に似ているからだということになっている。有島と晶子が懇ろな関係だったのかどうか、この二人の伝記に詳しくない小生には判断がつかない。映画の中では、晶子も有島に惚れて、彼とのセックスを夢見たほどだ。だが現実にはそこまではいかなかった。奔放だったとはいえ、晶子は同時代の飛んでる女・平塚らいてうほど解放されてはいなかったのだろう。らいてうは婚外性交に励んだが、晶子にはそういうおこないは認められないようだ。

鉄幹は、晶子に養われながら不倫をする情けない男として描かれている。その鉄幹を緒形拳が演じているので、情けなさの度合いが一層強調される。緒形はこういう役をやらせると天下一品だ。

以上が主要な登場人物だが、映画は晶子とその周辺の人物との触れ合いを描きながら、晶子の目に移った時代の世相を淡々と描いているところがあって、この映画を見ると、当時の日本がどのような時代だったか、目に見える形で迫ってくるところがある。晶子はかならずしも反体制的ではなかったが、それでも官憲に対して厳しい目を向けている。それはやはり時代の世相に見過ごせぬものがあって、晶子のような多感な人間には、批判的な目を向けざるを得なかったということなのだろう。

繰り返すが、吉永小百合の演技がいい。とくに表情がすばらしい。この時吉永は四十台前半だったが、まさに女盛りの色気を感じさせる。






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