自主規制の要請に従わない者の氏名を公表:村八分体質がいまだに残る日本

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コロナウィルス騒ぎで、政府や自治体がいわゆる自主規制なるものを国民・住民に要請し、それに対して国民・住民は大した不平も言わずに従っている。これはあくまで「要請」であるから、国民は強制されているわけではないので、是非自主的に従っていただきたいと、為政者たちは言うので、小生もそのつもりで従ってきた。従うことの不都合と、従わないことの不都合を比較考量すれば、従うほうの不都合が小さいと判断したこともある。ところが世の中には、従うほうの不都合のほうがはるかに大きくて、従いたい意思があってもなかなか踏み切れない者もいるだろう。

そうした人たちには、道義的な批判を浴びせることはあっても、罰することはないのだろうと思っていたら、じつはそうではないということが、明らかになった。要請に従わずに営業を続けていた店舗に対して、為政者がその氏名を公表すると言い出したのだ。どういうことかといえば、氏名を公表することで、世間の人々が、その店に圧力をかけてもらうのを期待しているようなのだ。つまり、世間がその店を村八分にして、要請に従わなければどういうことになるか、不心得者に思い知らせてやろうというふうに聞こえて来るのだ。実際、某都道府県の某知事が、こらしめの対象となる者たちの一覧表をひけらかしながら、テレビに向って、自分たちの要請に協力するように呼び掛けている姿を見ると、日本はいまだに、封建時代そのままの村八分社会の体質が残っていると思わざるをえない。

近代的な法制のもとでは、為政者が国民に負担を求める時には、その負担に見合う補償をするのが前提だ。保障なしに負担を求めることもないわけではない。だがそれは、戦争への協力を求める場合のような、極めてまれなケースに限定される。通常の場合では、負担と保障はセットになっているというべきである。だから、保障するつもりのない場合には、負担を求めるべきではない。ところが、今回の事例では、為政者は適正な保障をせずに、負担だけを要請し、それは強制ではないと言いながら、要請に応えない者に罰を加える。氏名の公表も立派な罰だ。氏名の公表が罰に相当せず、一定程度の合理性をもつ場合もあるが、それは公表することによって、国民の利益を守る場合に限られよう。

今回は、国民に一律10万円の交付をすることにしたが、これは負担に見合う保障とは言えない。みんなでこの苦境を乗り越えましょうと、国民に発破をかけることが主な目的の、いわば差し入れのようなものである。それを以て、誰でも為政者の要請に従うのが当然だとはいえまい。

小生のような老人でも、あまり長期間にわたって「自粛」を続けるのは苦痛である。若い人たちはなおさらだろう。まして、自粛の期限に先が見えないとあっては、精神衛生にも悪影響が出てくるだろう。その自粛は、「自粛」という言葉は使われていても、実質的には、日本の村社会体質を前提とした、ある種脅迫のようなものである。それでは、村八分社会の田吾作意識を保持した者はおいて、ある程度近代化した国民の意識を、いつまでも繋ぎ止めておくことはむつかしいのではないか。





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 このブログは以前投稿した、欧米とは違う日本独自の異質対応の危惧につながります。そもそも欧米と同じ強制力を伴う対応はなぜできないのかの国として国民への説明がありません。日本は大戦のきちんとした総括・反省を平時にしないままに、平和憲法9条を維持した世界唯一の国家であるとして世界に誇り国民に訴えてある意味耳触りの良いアピールをしてきました。(この姿勢は諸外国は内心冷ややかに見ていたと思いますが)平時に冷静な準備・議論をしておくことは戦争だけでなく、原発事故大規模テロなどの大事件、大震災に対しても重要です。残念ながら政治家、行政官は目先の枝葉末節なことばかり追いかけて国民受けをねらう対応が戦後一貫しています。ジャーナリズム、マスコミも同じく視聴率優先、雑誌の売れ行き等経済的なメリット優先の報道・論評が主導で、そうではないジャーナリズムは主要メディアからはかなり隅に追いやられています。

今回の指導に従わなければ公表するとした点は、散人さんは村八分的な行政が今でもあるのかという驚きを含んだ評でしたが、確かにその通りかと思います。しかし何が正しいのかということでは私は疑問です。というのは強制力を発生しない状態では確実に主要都市部に多数あるパチンコ店からそれも10か所以上から、いずれクラスター感染が連鎖的に出るリスクはかなり大です。これが残る最大の発生源と判明した場合、村八分対応しかできなかったことは、行政側の大変な失態だったと国民全体が知ることになります。そうなったときには、経済負担が膨大といって政策発動を躊躇していた側の責任は重大です。まさかその時になっても政策側は要請に従わなかった側に問題があるということで行政批判世論を交わすのでしょうか?すでに現在感染経路不明者が5割以上を占めており、年代も高齢者から青年・若年レベルに下がっています、一日も猶予はありません。

なお、財源については別の問題ですが、時限立法措置として、経済格差の原因となっている政策、特に大企業、資産家、投資家向けの税制を変更して所得再配分制や遺産相続制の一時見直し、巨大電力事業向け税制の見直し、国民からの寄付制度推進制度などいずれも数兆円規模が考えられるのではないでしょうか。散人さんは行政に長かったのですが、政治家が本来提示すべき大きな制度変更提示が日本ではなかなかできないことについてはどのようにお考えでしょうか?

synfonicさんの意見に賛成です。パチンコ店の開店前に行列する風景をみて悲しく思います。人の命を大事に思い、自粛要請を求め、ある程度の補償を用意すると自治体の長は懇願するように述べていたと思います。開店する店主は生活のためといっているが、このパチンコ業界の団体で支援策が検討されていなかったのだろうか。経営者の方々は日本国籍の方なのだろうか、反社会勢力に関係がある方々なのだろうか。それとも個人でコツコツと頑張っておられる方なのだろうか。
 そして、開店している店を探し回って出向く客もあると聞く。日本人の民度はどうなのだろうか。憲法で、私権を制限できない日本は現在以上の国難に遭遇した場合、国家の崩壊を招くリスクが露呈したといっても過言ではないと思う。自分の都合で、仮にクラスターを発生させれば、傷害罪になりはしないだろうか。
 例えば、金正恩の死亡説が本当だとして、北朝鮮にクーデターが仮に勃発すれば、日本は混乱に陥ることも考えられる。非常事態において、私権も制限できる準備をしておくことも必要ではないだろうか。
 服部 文弘

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